あなたが本当に結婚すべき相手とは!?
答えは「自分自身」です!
つまり「自分自身との結婚」となります。
私がこの言葉を初めて目にしたのは、バイロン・ケイティの書籍を読んでだったかと思います。(それ以前にも目にしていたような気もしますが覚えていません…)
クライアントさんとして来られる方の多くは、男性でも女性でもパートナーについての問題を抱えている方がほとんどです。
仮に自分がそうではないにしても両親の夫婦関係の中にもそういった経験を抱えていない…という人は本当に少ないと思います。
人間として生まれてきたからには… 結婚するしないに関わらず、数ある人間関係の中でも万国共通で誰でも逃れられないテーマであり、最大の関心事なんでしょうね。
でもケイティはこんな趣旨の事を言っていたかと思います。
なぜ人が誰かを求め、誰かと結婚しようとするのかと言うと…
自分自身との結婚を果たすためだと…
自分自身との結婚という最大の目的さえ果たせれば…
そのうえでパートナーがいるか、いないか? は大きな問題ではないんだと…
パートナー、特に夫婦って血の繋がりのない赤の他人同士ではあるんですが…
一番お互いの良い面も、悪い面も見せ合う羽目になり(ボロが出てしまい(;^_^A)
一番自分の中にある大きな「想念」を刺激してきて、
良くも悪くも感情的にさせられて、行動(リアクション)まで支配してしまうパワーを持っているように思わせる存在があなたのパートナーなんだと思います。
でも本当はその人がそんなパワーを持っているのではなく、
そう思わせてしまう「想念」に自分自身がパワーを与え続けているのが真実なのですが…
だからこそ自分がどういう人間なのか?
どういう「想念」を持っていて、どのくらいそれに執着している存在なのか?
について知らせてくれるありがたい存在なのかもしれません。
自分自身を知り、自分自身を受け入れ、愛することが出来るようになるまで…
つまり「自分自身との結婚」が出来るようになるため、あなたの人生に用意された無くてはならない必要なキャストなんだと思います。
「自分自身との結婚」とは、私なりの解釈で言うならば
自分自身でいる(在り続ける)という事であり、自分自身から離れないという事であり、自分自身を生きるという事でもあり、自分自身を愛するという事でもあり・・・
いくらでも言葉は浮かんできそうですが、この自分自身とは私の解釈で言うならば、
今ここに、現実として、無条件で、あるがままに、存在している、「私」の事であります!
そしてこれは私の解釈の中では「愛」そのものという事でもあります。
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クライアントさんにもこういう話をすることはあるのですが、あるクライアントさんとの会話の中でこの「自分との結婚」の話をしていたらある動画を紹介されました。
「先生がおっしゃってるお話はつまり… この動画の内容とおんなじ事なのでしょうか?」と言われて紹介されたんですが…
初めてみた動画でしたが、まさにこの事でもあります。
The person you really need to marry | Tracy McMillan | TEDxOlympicBlvdWomen
最後は何度見てもグッとハートに来ます… いい動画です!(笑)
この動画を見て以降、実は私も…
時々思い出しては忘れないように自分に言い聞かせていたりします (;^_^A
「私は決してあなたを一人にはしません!」と…
PS:ちなみにこの動画の女性を見ていて…「体癖」が分かる方いらっしゃるかな?
私はすぐに〇種体癖かな?… と感じましたが…(;^_^A
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想念の森の住人たち
前回の続きを例え話を使ってまとめてみよう!と色々と考えてみましたが…、
結局「海と波」の例え以上に良いものが見つからず…
8種体癖で負けたくない私もここは負けを認めて、断念して…(;^_^A
ということで、今日は「想念」について書いてみます。
皆さん誰一人例外はなく… 想念というモノを持っています。
観念、信念、価値観、思い込み、認識、解釈、呪い、呪縛・・・
なんと呼んでも構いませんが、要はあなた(私)が長年信じている考え(思考)の事です。
頭の中(思考の世界)に、こういった「想念の木」がたくさん生えていて、まるで森が出来ているような状態かもしれません。つまり想念の森です!
その森の中には、まだ生まれて間もない小さくてか細い「想念の木」もあれば、
大木、巨木に育ってしまった森の主のような「想念の木」もあるでしょう。
そんな大木や巨木に育った「想念の木」には無数の枝(想念)が生い茂っています。
「時間は守らないといけない!」
「身だしなみを整えないとみっともない!」
「あの人はもっと礼儀をわきまえるべきだ!」
「約束をやぶるなんて最低だ!」
こういった枝がたくさん生えていられるのは、枝を生い茂らせている太くて立派な幹(想念)の部分があるからです。その幹はもしかしたら
「社会人として ちゃんとしないといけない!」
なんて名前の幹かもしれません。
そしてその「社会人として ちゃんとしないといけない!」という太くて立派な幹を支えて滋養しているのは、
「ちゃんとしないと愛されない! 認めてもらえない!」
という根っこ(想念)の部分があるからかもしれません。
こういう大木、巨木たちと、これから大木にまで育つかもしれない今はか細いたくさんの木たちが うっそうと生い茂り さながら富士の樹海のようになっているのが私たちの頭の中(思考の世界)なのかもしれません。
富士の樹海と同じように、いったん奥地にまで迷い込むとなかなか抜け出せなくなってしまいます。
そしていつしか… 想念の森の住人として暮らす羽目になり、外の世界(あるがままの世界)に気づけなくなったり、外の世界の存在すら忘れてしまうのかもしれません。
あなた(私)が、ある想念を信じれば信じるほど、その「想念の木」はエネルギーを与えられ太く長く立派なものに育っていきます。
あなた(私)の「信じる」という力(行為)がまさに「想念の木」の水となり肥料となっているんです!
あなた(私)はその立派な「想念の木」についつい魅了されてしまい、木の元から離れられなくなってしまいます。
森の管理者・責任者たる自覚を忘れて…、その「想念の木」の根元で多くの時間を過ごすようになります。
そしてもし 木を傷つけるような誰かが現れたり、そんな出来事が起こるものなら…感情をあらわにして無自覚に衝動的に突き動かされたり、逆に感情を抑え込みながら動けなくなったりし始めます。
いずれにしても多大なストレスを感じている事には変わりありませんが…
そうこうしてるうちに その「想念の木」は巨木へと育ち、枝はどこまでも生い茂り、あたり一帯の日の光も遮るようになり、周りの小さな「想念の木」へ注がれるはずのエネルギーまで貪るようになって暴走し始めます。
被害にあった「想念の木」の中には、今のあなた(私)の役に立つはずの…、助けてくれるはずの…、必要なはずの…「想念の木」も含まれているかもしれなにのに…
あなた(私)が「信じる」ことで、あまりにも大きな力を得たその「想念の木」はいつしか意思を得て あなたにささやき始めるかもしれません。
「お前はずっとここに居ていい…、いや!、ここに居た方がいいよ!」
「大丈夫… 私が守ってあげるから!」
「耳をかしちゃだめだよ…、私が一番お前の事を分かっているよ…」
「私とお前は同じ… 私こそがお前なんだから…」
気をつけないといけないのは… 世間的にネガティブと思われる「想念の木」だけにこんな事態が発生する訳ではないという事です!
一見すると世間的にポジティブと思われる「想念の木」によっても同じことが起こりえます。しかもそちらの方が実は長い目でみて厄介だったりするから要注意!
恐ろしや・・・ 想念の森・・・
あなたは森の住人になっていませんか?
まるで特定の「想念の木」の守り人のようになっていませんか?
自分が 何者か を忘れていませんか?
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感じるのが怖い②
前回の続きです。
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私のセラピーは最終的には自分自身を苦しめる想念から自由になることを目指しているんですが、想念に取り組む前に蓄積した感情的エネルギーを何とかしないといけない場合も多いって話なんです。
ある想念によって湧き上がってきた感情を、更に別な想念によって感じさせまいとする現象がよく起きてきます。「私はこんな感情を感じるべきじゃない!感じたい訳じゃない!」みたいな事が起こるんです。
中には向き合うべき感情は感じようとせずに、自分が感じたい感情を与えてくれる他のものに意識が向いてる場合もあるでしょう。
でもそれを続けているうちに表現されない感情エネルギーはどんどん大きくなってきて、何かもう得体のしれない恐ろしいモノのような気がしてくるわけです。
すると当然、なおさら感じようとしないためのサイクルがグルグルと続きます。
「そんなもん感じてしまったら、自分がどうにかなってしまう・・・」となるわけですが・・・、本当にそうなんでしょうか?
これらの想念や感情ってどこで湧き起こっているかと言うと、当然ながら「私」の中で起きています。頭の中で…と感じようが、胸のあたりで…と感じようがこの際どちらでも構いませんが、
つまり「私(あなた)」という、なんらかの「場」、「スペース」、「空間」みたいなものの中で湧き起こっています。
シンプルに「心の中」といってもまぁ良いでしょう。
想念と感情、どちらに先に気づきやすいか? というとほとんどの人は感情の方に先に気づくはずです。
猛烈に湧き上がってくる怒りを感じるよりも前に
「このあと私は怒りに飲み込まれようとしている…、それは何故?、どんな想念によって私はこれから怒りと同化しようとしているのだろう…?」なんて冷静?な人はそうそういないはずです (;^_^A
だから普通は感情に先に気づく訳ですが、これって感情に気づいた時点ではもうすでにその感情は生まれているんです。つまり生まれた後なんです。
どこに? 当然 私(あなた)の中に。
そしてこの後、湧き上がってきた感情を抑圧して結果的に感情貯金が増えたとしても、火に油を注ぐようにして感情の炎をさかんに燃え上がらせたとしても、
いずれもどこで起こっているか? というと当然 私(あなた)の中なんです。
「そんなもん感じてしまったら、自分がどうにかなってしまう・・・」と思うのは自由なんですが、もうすでに自分の中で生まれて存在している(存在させている?)何かによって、つまり存在済みの何かによって、自分自身がどうにかなってしまう…なんて事が本当に起こりうるのでしょうか?
3種体癖の人たちのように、その感情エネルギーを外に表現できれば、周りは迷惑するとしても本人は発散出来てスッキリしたりします。
でも4種体癖の人たちのようにそれが出来ない方が、あまりにも感情貯金を増やしすぎると「これを感じてしまうのは危険だ!やばい!無理!」となってしまって、その感情によってどうにかなってしまいそうに思えてくる訳です。(時に自殺をしてしまうぐらいに…)
でも本当にどうにかなってしまうものなんでしょうか?
自殺までとはいかなくても似たような経験は私にだってあります。
確かに無意識に、無自覚に、その恐れている感情を避けるように、逃げるように過ごしていた経験があります。
でもいくら恐れても、いくら逃げようとしても、それはすでに起きた後であり(存在済み)、しかもそれは自分の中で起きている訳ですから、逃げようにもそもそも不可能なんです。
でも人は感じたくない感情を無視したり、抑え込んだり、他の何かに意識を向けたりすることで、何とかなるような気がしているんだと思います。
向き合わないまま上手い事やれば、どうにかやり過ごせるような気がしているのかもしれません。
はたしてその努力は本当に自分のためになっているんでしょうか?
その努力にエネルギーを注ぐ必要はあるのでしょうか?
たとえどんなに巨大で恐ろし気なモノに思えるぐらいに感情エネルギーが大きくなったとしても、それは必ず私(あなた)の中で起こっており、私(あなた)の中に収まっているんです。
それを感じてしまったら自分が壊れてしまう…、耐えられない… と思えたとしても、それは必ず私(あなた)の中で生まれており、私(あなた)の中に収まっていることで存在できています。
どんな感情であろうが、自覚に上ったときにはすでに私(あなた)の中に存在しています。すでに受け入れ済みで、生まれた後で自覚に上りそして気づく訳です。
自分と言う「場」、別な言い方をするならば自分と言う「器」の中で生まれて、そこで存在しているモノですから「場」や「器」より大きな存在となる事はありえないと思うのです。
「でも…押しつぶされそうなぐらい大きな存在として…脅威として…感じるんですが…」という気持ちも十分にわかるのですが、自分と言う「場」や「器」より大きくなることなんてありえないと思うのです。
例えば… 自分の「場」や「器」に収まりきらないくらい大きいから、
「どこかもっと大きな「場」がないかしら… 収まらなくなってきたな~」とか、
「最近レンタル感情スペースを借りました!、意外と安かったです…」とか、
「〇〇さんに「場」を借りれたんで、一番感じたくない部分を預けてきました。ラッキー!」なんて事は不可能です。残念ながら。
たとえどんなに大きな存在に感じようとも、それが起きて(生まれて)、存在しているのはいつも 自分という「場」や「器」の中であり、それを超えて存在するモノはありません。
今も増殖拡大中でこのままだとマズい!と思えてても、いつもそれが起こっているのは自分という「場」や「器」の中です。
どんなに大きく思えて、受け止めきれそうになく、耐えられそうにないと思える感情であったとしても、私(あなた)という「場」や「器」はあなたが自覚するよりはるかに超広大なスペースであり、簡単にそのスペースを埋め尽くせるもんじゃあないんです!
思考や感情が湧きおこる広大な「スペース」「場」こそが、私(あなた)という存在の本質でもあり、すべてはそこで起こっています。
これが 私(あなた)の意識です。
広大な宇宙空間で幾千もの星や銀河が誕生し、やがて消滅していきますが、それが起きている空間が傷ついたり壊れたりすることはないように、
私(あなた)という「場」や「器」の中で幾千もの想念や感情が誕生し、大きくなったり小さくなったりしながら消滅したり、消滅しなかったりしますが、それが起きている空間(意識)が傷ついたり壊れたりすることはないんです。
もう受け止められない、耐えられそうにない、どうにかなりそうだ… というのは真実ではありません。私(あなた)という「場」や「器」は、どんなものでも受け入れ、受け止め、存在させることができる広大な意識です。
真実は、受け止められない…、耐えられそうにない…、どうにかなりそうだ…、という想念が存在しているだけです。
そうやって自分自身を信じ込ませようとする想念によって、自分と言う存在の本質(意識)を忘れてしまうことで恐怖を感じているんです。
だからたとえどんなに怖くても、私(あなた)という「場」や「器」で生み出して存在させている想念や感情によって、自分自身の本質である「意識」がどうこうなるなんてことはありえない!
こういう話は色んな覚者と呼ばれる方たちの話や、色んな本によって伝えられていますが、最近紹介されて読んだ本「もっとも深いところで、すでに受け入れられている」を読んでこれまでとは違う意味で凄く腑に落ちました。
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作者の方はたぶん私とは体癖が違うせいか (;^_^A
ちょっと読みずらく感じた本でしたが(こういう場合も体癖の影響はありますよ!)
最後のページを読んで「あぁ~このためにこの本を読んだ甲斐があった!」と感動しました。
この本の中では「海」と「波」の例えをつかって深~いお話を進めていますが、
捻れ体癖(8種)の私はあえて負けまいとして、別な例えを使って (;^_^A
自分という「場」や「器」や「スペース」、そしてそこでいったい何が起こっているか? 人は何に気づけていないのか? について次回書いてみようと思います。
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感じるのが怖い
世の中には色んな問題に対する、色んなアプローチ法があります。
体にアプローチする方法、食事からアプローチする方法、環境にアプローチする方法、精神や心にアプローチする方法など… 実に様々です。
提供する側、される側、それぞれが信じた道(アプローチ)を進めば良いのでしょうし、その多様性があるからこの世は面白いんだと思います。
私は色々と私なりに模索した結果、クライアントさんの想念(思い込み・解釈・価値観・呪縛・呪い・etc)に取り組む事が何より大切だ… と思い今に至っていますし、どうもそういう事が一番好きだし、そういう事を学ぶ事になっていたような気がしています。
なぜ想念に取り組むことが大切か?というと・・・
説明が面倒くさいので読んでください (;^_^A
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誤解を恐れず要約するならば…
体の病気だろうが、心の病気だろうが、それが発症する以前に何らかの強烈な感情が湧いていた事があったはずなんです。(しかも長期間、慢性的に)
そしてその強烈な感情エネルギーを慢性的に生み出す原因となった、想念があるはずなんです。
人生のどこかで(多くは幼少期に)その想念を植え付けられ、信じて生きるハメになったはずなんです。
「時間は守るべき!」なんて信じれば信じるほど、時間を守らない人に対して何らかの感情がとめどなく湧いてくることになるんです。
全ての想念は言葉によって出来ています。「はじめに言葉ありき・・・」なんて有名なセリフがありますが、想念という視点で考えても「なるほど!」と納得させられます!
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だから想念に気づいて、そこに何らかのアプローチをすれば良いわけですが、その前段階の感情エネルギーの問題が未解決の場合、とてもじゃないが想念に取り組むどころじゃない方も沢山いるんです。
「体癖」的に言えば、奇数体癖よりは偶数体癖の方に多いでしょうし、感情を出せない身体を先天的に持っている4種体癖の人とかは、大げさに言えば未消化の感情エネルギーに毛が生えて服着て歩いている… みたいな存在なんです。(;^_^A
だから自分自身の感情に向き合う、解消していく生き方もしていけば良いのですが、これがなかなか難しい… とまた「頭」が考えて… ややこしくしているんです。
小さい頃は、泣くときは泣く!、怒るときは怒る!、が自然に出来ていたはずなのに・・・いつしか
「メソメソしちゃいけない!」
「怒るのは良くない!」
「男なら泣いちゃだめだ!」
「もっと女の子らしくしなきゃ!」
これらの多くは、親をはじめとする誰かから愛されるため、自分自身を守るためにほとんどの方が否応なく身に着けてしまう想念ではありますが、これが大人になるにつれて「大人たるもの〇〇すべし、〇〇すべきじゃない!」がプラスされて事が大きくなってきます。
結局は感情を抑圧したり、無視したり、他のものでごまかそうとしたりする…事にも実は想念が関係しているんですが…(苦笑)
昔、津留晃一さんの本を読んだときに「感情は真剣に感じようとすれば3分も持たず消えていく」みたいな事を書いていました。私も確かにその通りだと思います。
真剣に向き合って感じれば消えていく、過ぎ去っていくものなんです。
小さい子はケンカしても気が付いたらすぐに仲直りして遊び出しますが、大きくなって自我(想念)が芽生えてくるといつまでも根にもって素直に遊べなくなってきますよね?(両者の違いには感情を出せているか否か?も大きな要因としてあると思います)
本来人間は固定された不自由な存在ではなく、幼子のように心も体も柔軟で流動的で自由な存在なんです!
そういう「在り方」で自由に感情も表現できている限り、良い感情も悪い感情もないんです。感情は大切なアラームでもあり、生きる動機やモチベーションにもなります。
出しちゃった方がスッキリとして今目の前にある現実に向き合いやすくなるはずなんですが…
人は感情と向き合う事を怖がるように、避けるようになっていきます。
男だから、女だから、大人だから・・・
感じてしまうとダメになりそうだから・・・
感じてしまうと耐えられそうにないから・・・
感じてしまうと何をしでかすか自分でも分からないから・・・
色んな理由(想念)に捕まって、感情を感じる、味わう、という事から逃げるようになりますが、逃げれば逃げるほど感情貯金が貯まっていきます。
銀行の預金通帳のように貯まれば貯まるほど安心!みたいなモノではないのです。溜まれば溜まるほど安心が脅かされる気がしてきます。
ますます強大で得体のしれない怖いモノとして感情を認識しだすかもしれません。
汲み取り式の便所なのに、かたくなにバキュームカーを呼ばない… なんて意味不明の行動をとっている可能性に気づけなくなってるのかも…。(捻れ体癖か!?)
まぁ私も捻れ8種体癖で痛いほど(臭いほど?)経験しているので (;^_^A、怖くなる気持ちは重々承知しています。
貯まれば貯まるほど怖く(臭く)なりますよね?
ほんとにもう耐えられないかも…って気になります (;^_^A
でも耐えられない怖さにまで耐えようとするのが捻れ8種だったりしますが(苦笑)
でももしかすると…まわりの人までもがその(匂いの)被害にあっているかもしれません…
便器の穴からすぐそこに山の頂が見えるぐらい溜まってきたら(貯まったら)、そりゃ~もう臭くて臭くて、匂いを(感情を)隠そうとしても 来てる服(肉体)にまで匂い(感情)がしみついちゃって、すれ違う赤の他人にすら臭い人(暗い人)だな~って思われてしまう事にもなりかねません。
(このまま便所ネタをどこまでも引張りたい気持ちを抑えて…)本題に戻りますが…
この感情を感じる事が怖くて大変な思いをして生きている人たちに、いったい何が起こっているのか? について…違う視点、たとえ話を使って次回書いてみようと思います。(便所ネタ以外で…)
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意識的に生きるためにも…!
昨日は京都府八幡市男山にて「体癖講座」を開催させていただきました。
好きな事をしゃべりだすと止まらない私に、好きなだけしゃべらせてくれる場を用意してくれた 楽気院の北村さん
とっても美味しいお昼ご飯と、3時のスイーツまで付いた素敵な場所を提供して下さった 眞藤さん(お店をオープンしたら食べに行きますね!)
そして未だメジャーにはなっていないけど、知れば必ず面白くて役に立つ「体癖講座」に嗅覚が反応してご参加いただいた変わり種の皆々様に感謝いたします!<m(__)m>
今回は参加者全員がご自身の「体癖」をほぼ正確に診断・自覚できた会となりました。
なれるまでは診断が難しい側面は確かにあるのですが、シンプルにポイントをつかんで人を観察する癖をつけていくと、体癖の種類によっては見ただけでも分かるようになってきます。
そうすると人を見る目が変わり、人と会うのも楽しくなってきます!
「体癖」に興味をもち理解を深めると、絶対に気づきが起こります。
「あっ! 私(俺)ってば… またやってる…!」
「プっ! あの人ったら… またやってる…!」
この気づきを是非大事にしていただきたいんです。
実は人間がいかにプログラム的なものに突き動かされているのかに気づくきっかけとなるんです!
そしてそれを「さも自分の選択でやっているかの様に錯覚している」ことに気づいて欲しいんです!
上下型の人ならつい大義名分や人からの目線を気にして動いてしまうし、
左右型の人ならいかに自分が好き嫌いで物事を決めているかに気づいて欲しいんです。
こういう気づきが日常的に起こるようになってくると、幼い頃にトラウマなどで身に着けさせられた「間違った認識や解釈」、「自分を苦しめている想念や思い込み」、「今となっては全く役に立っていない価値観」などによって無自覚に突き動かされている自分にも気づけるようになるはずです。
そしていつの日か…
間違っている人とか、自分を苦しめる何かとか、役に立たないもの… なんて現象はこの世には存在しないのでは? という気づきにも至るかもしれません。
実は、本当の意味で自分が選択して決めたわけではない事を、自分の選択であるかのように勘違いするからこそイライラしたり苦しかったりするんです。
逆に他者に押し付けられた選択だと思い込んで被害者意識にとらわれることで、実は自分の選択がどれだけ愛から生まれた選択だったかを忘れてしまって苦しんでいる人もたくさんいます。
たとえ「体癖」が違えども、すべての人に共通するのは「自分の選択で生きたい!」「自分自身を生きたい!」という事なんだと思います。
損得にこだわる前後型の人が、損得で動いている自分を自覚しながらもやっぱり今回は得をして感謝したいんだ!という時もあれば、
得を求めながらも…もっと大切にしたい何かのために自分の決断で損を選択することもあるんです。
いずれにせよ他ならぬ自分自身の選択であるという自覚があるときは、人はつらい選択でも乗り越えていけるのではないでしょうか?
これを意識的に出来ているか、無自覚でやっているかで、長い人生は大きく変わってくると感じています。
間違っている(と思えた)あの出来事が間違っていた訳ではなかったのかも・・・
自分を苦しめている(と思えた)その人のせいで自分は苦しんでいた訳ではなかったのかも・・・
このパラドックス(逆説的)な世界を通じて、あなたが何を気にして、何に反応して、何に囚われて、何にこだわるのか…?
そのために、自分を深く理解するために、自分自身の幸せのために…、
一つのきっかけとして「体癖」の知識が皆様のお役に立てればと願ってやみません。
ご要望があればまた開催させていただきます。可能な限りどこへでも出向きますので!
リピート参加の方は半額で参加できるのでお得ですよ!
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