私的「この世の真実」 ~私は世界…世界は私… の意味②~
実は私たち人間は、決して「あるがままの世界」や「あるがままの相手」を見る事は出来ない!・・・
それには2つの理由があり、その1つは前回お話しました。
gorono-omoikomi.hatenablog.com
つまりは私たちが普段見ている世界の実態とは…、五感を通じてキャッチされた様々な情報と記憶を自分の脳内で再構成して、自分の内側にある「超々体感型立体スクリーン」のようなもので体感・実感している内部表現の事である…、というお話をしたのですが、
私たちはこういった内部表現に対して更に「自分の考え」つまり「想念や思い込み」といった思考を被せて世界を認識しています。
これが私たちが「あるがままの世界」や「あるがままの相手」を見る事が出来ないもう一つの理由です。
厳密には自分ひとりしか存在していない自分の内側の内部表現(世界)の中で、誰かや何か、出来事や世界全体に対して、自分が信じている「想念や思い込み」というフィルターを被せて世の中を認識している訳です。
「想念や思い込み」というフィルターとは別な言い方をすれば、誰かや何かに対して判断や認識や意味づけをするための基準のようなものであり、人それぞれの感受性の中心でもあります。
まさに各々が様々な人物や物事を、様々な「色眼鏡」を使ってみている事になります。
そのメカニズムたるはまさに今はやりの「バーチャルリアリティー」の世界の住人になっているような気もします。
私のイメージでは「肉体と言う超高性能なゴーグル」的なモノを装着して世界を認識し体感している感じですが…
そしてこの内部表現の中で出会う人や、遭遇する出来事に対して
「やっぱり… あの人は冷たい人だな~」とか
「また… こんな出来事が起きたのは、つまり自分が無能という意味なんだ…」とか
「あの人はもっと私の事を理解して受け入れなければならない!」とか
「こんな出来事は私の人生に起こるべきじゃなかったんだ!」とか
各々が自分の感受性の傾向に従って、好き勝手に解釈や認識し、そして意味付けをした事を信じてしまいます。
本当はその人がどんな性格でどんな考えを持った人なのか? なんて事は本人にしか知りようがないのに…(本人も分かってない事も多いですが…)
本当はその出来事が自分の人生にとってどういう意味や価値があるのか? なんて事は神様?みたいな存在にしか知りようがないのに…(実は他の選択肢もあるのに…)
思考は好き勝手に受止め、認識して、解釈して、作り上げた想念や思い込みによって意味付けされた物語(妄想)を信じて生きていく羽目になります。
厳密には自分一人しか存在しない内部表現という世界の中で、誰かに出会い、何かに遭遇していると錯覚してしまい…
厳密には誰かについての「自分の考え」に出会い、何かについての「自分の考え」と遭遇しているだけなのに、さも誰かや何かの方にこそ問題の原因があるように錯覚してしまい…
つまり…
gorono-omoikomi.hatenablog.com
上記の記事みたいな事が人間関係のみならず、人生の全てにおいて起きているのが真実なのではないでしょうか?
だからこそ・・・
あなたは生まれてからこれまで、リアルには誰1人とも出会っていないし…
あなたは生まれてからこれまで、どんなに受け入れがたい出来事があったにしても、あなたの内部表現の中には全ての出来事が既に完璧に受け入れ済みでしたし…
誰かに出会い何かに遭遇した事は実は一度もなく、内部表現における誰かや何かについての「あなたの考え」にしか出会った事はなく、遭遇したこともないし…
誰かや何かが あなたの問題となった事は実は一度もなく、内部表現における誰かや何かについての「あなたの考え」しか あなたの問題となったことはない! と言うのが真実なんです。
凄く分かりにくい話かもしれませんが、私たち人間とは
自分自身の内部表現の中で、自分の考え(想念や思い込み)としか出会っていないとも言える訳です!
つまりは「あるがままの世界」や「あるがままの相手」を見るどころの話ではなく…
まるで白昼夢を見て過ごし、白昼夢の中で死んでいく…(肉体の死ですが…)
ような事でもあり、
だからこそ私たちは正気に戻る必要があるのではないでしょうか?
人はなぜ生まれてきて、なぜ生きていて、なぜ死んでいくのか…
私もいつからかこんな事を考える歳にもなりましたが、ここにこそ答えがあるような気がして探求している真っ最中です。
こんなお話をいつか沢山の方たちと出来たら… と私の内部表現の中で私は妄想している真っ最中です…(;^_^A
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