ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

自分が考えてる訳じゃない?

私も普通に「自分が考えている」って思っていましたし

 

今でもまだまだそのつもりで日々を過ごしています。

 

でも最近 そうでもないぞ!? ってことが少しづつ腑に落ちてきはじめました。

 

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色んなやり方で検証はできるのかもしれませんが

 

まず… ホントに「私」「自分の意思」で考えているのならば

 

いつでも好きな時に止められるはず!? だよね・・・

 

という疑問が沸いてきます。

 

でも実際にはどうか? というとコレがなかなか難しい訳で…

 

大した事じゃないならいつでも自由にやめられるんですが、

 

  • 今自分が一大事だ、大問題だ、と思っていること…
  • 大好きなあの男性や、あの女性のこと…
  • 大嫌いなあの男性や、あの女性のこと…
  • 考えたくもないはずのあの過去や、この将来のこと、などなど…

 

例えば… 大好きなあの人の事を、今この瞬間から当分の間は一切考えないで下さい! って言われても・・・ふつう無理です。

 

まぁ好きな事なら害はないかもしれませんが、

 

嫌いな人の事も、まるで片思いのあの人のように思い続けているのも人間です。 

 

こういう事って一旦考えだすとなかなかやめられないですよね?

 

やめれた! と思っていても、実は別の事を考えることで逃げたり…、考えないようにせねば… って考えてるだけで、

 

人間ってホントの意味で自分の意思で自由自在に考えをコントロールはできないのではないでしょうか?

 

「今から言うことを絶対に考えないでください!」

 

「ピンクのゾウさんだけは絶対に考えちゃダメです!」

 

って言われてピンクのゾウさんを考えないで済む強者がほぼいないことでも証明できるかと思います。

 

 

瞑想とかしてる時も、雑念に囚われないように、いらんことを考えないように

 

「今は瞑想中なんだ!…」「無になるんだ!…」

 

みたいに 考えで考えを制御 しようとしがちです。

 

 

結局「考え」って これまでの記憶や経験をもとにして

 

 五感を通して入って来る外部からの刺激に受動的に反応して湧き出したり、

 

やはり何らかの刺激に触発されて自発的?に自分の内部から湧き出てくるもので、

 

意識としての、認識するものとしての「私」がやっていることではなく

 

感情や思考から形成される「心」が勝手に? 生み出している のかな…

 

という感覚で私は認識しています。(大雑把ですが)

 

 

 

そして本来は認識する対象である自分の「考え」に

 

突き動かされて、踊らされるか? そうでないか? 

 

の境目は、その考えに「執着」があるかないか? だと思います。

 

自分の考えに「執着」を持ってしまったときに、私たちはコントロールを失うのです!

 

主従が逆転して本来なら「自分にとっての考え」であったはずなのに、

 

「考えにとっての自分」を演じるようになってしまいます。

 

 

本来ならご主人様を助ける役目の家来に、あまりにも長いあいだエサや力を与え続けたばっかりに、

 

下克上や乗っ取りが頻繁に起きているのが私たち人間の苦しみの主たる原因ではないでしょうか?

 

 

だから考えを「自分でどうにか出来る!」と考えるのは大きな誤りかも知れません。

 

想念や思い込み、絶対だと信じている価値観や解釈、無自覚にやっている自己暗示や呪い・・・

 

もうすでにあなたの中で主従の逆転が起こっているとしたら・・・

 

「私は知っているんだ! 分かっている!」

「私が正しい! 私は間違っていない!」

 

みたいに… 特定の誰かや何かについて 

 

あなたの方がさも「答えを知っている」「分かっている」と考えている時に

 

あなたが大きなストレスを感じているのであれば…

 

それは本当は 誰が(何が)つぶやいている声 なのか? 

 

について、考えてみる時が来ているのかもしれません。

 

 

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