敵と味方?
2回目となる「体癖講座」を開催させていただきます。
あと数人は受付可能ですので、ご興味があれば是非ご参加下さい!
それから5月4日には、三重県名張市の「Be Happy! ちきゅう食」さんでも開催させていただきます。三重の方(たいして知り合いはいませんが…(;^_^A)よろしかったらご参加お待ちしております。
私が「体癖」を皆様にお伝えしたいと思っている大きな理由の一つは、
人間が先天的に持って生まれてきたプログラムのようなモノが「体癖」だと感じているからなんです。
Wikipedia から引用すると「体癖」とは…
「人間の感受性の癖を表す概念。身体の重心の偏り・腰椎のゆがみと個人の生理的・心理的感受性(体質、体型、性格、行動規範、価値観など)が相互に作用している…」
とあります。
私は肉体的・整体的な視点よりも、心理的な側面から「体癖」の重要性を痛感させられた人間です。発案者の野口晴哉氏自身も、心の重要性を何よりも大事にされていた方だったようです。
体のみならず、心にも多大な影響を及ぼすプログラムだからこそ、ついうっかりしてると… ほぼほぼ自分の「体癖」の特徴や性質にそくした思考や行動をつい無自覚にとってしまいがちです。まるでロボットの自動反応のように…。
そして人間には先天的なプログラム(体癖)のみならず、後天的に身に着けてしまうプログラムが存在します。
それが「想念」です!
信念・価値観・思い込み・解釈・呪縛・呪い・自己暗示・・・呼び方はなんでも構いませんが…
先天的なものと、後天的なもの、この2種類のプログラムによって強力に人生を制限されてしまっている無知で不自由な存在が「人間」とも言えます。
まぁ、「体癖」はちゃんと理解して上手に使いこなせば?、人生という物語を楽しむための強力な味方にもなってくれるプログラムではありますが、
残念ながら…いまだ多くの人々に知られておらず…、ちゃんと理解もされず…、人生という物語を苦しいものにするためのプログラムのようになってしまっている方が多いのが私の実感です。(当然私も含めて…)
そしてこれは、後天的なプログラムである「想念」についても同じことが言えます。
自分にとって「良い想念」を信じて生きていけてる人は幸せですが、多くの方は自分にとって「悪い想念」を信じて生きてるせいで長い事苦しんでおり、しかもその事に気づいていない方がほとんどだったりします。
自分の事は自分が一番分からなかったりするので、仕方のない部分もあるのですが…
実際には「良い想念」も「悪い想念」もないのです。
「良い」とか「悪い」は、思考の中にしか存在しません。
問題になるのは「良い」とか「悪い」ではなく…
あなたがどれだけ「それ(想念)」を信じているか? という部分なんです。
あなたの「信じる」という行為が、「想念」に力を与えます。力を与え続けられた「想念」はやがて、あなたの中で大きな大木(想念の木)へと育っていく事でしょう。
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大切なのは、その「想念」を信じて突き動かされるように生きている正にその瞬間に、
あなたが何を感じているか? ストレスを感じていないかどうか?
なんです!
ストレスを感じずに幸せを感じられるのならば、その「想念」に対してことさら意識を向けたり取り組む必要はありませんし、信じた道を進んで行けばよろしいのです。
ただし… 気を付けないといけないのは、どれだけ素晴らしいと思える「想念」であっても、あなたがそれを信じすぎて…、執着しすぎると…、
それはやがて、いとも簡単にあなたを苦しめる「想念」に変わりうるんです。
例えば「人には優しくしなければ・・・」なんて「想念」は、誰が聞いても立派なものではありますが、それに執着しすぎると…
人に優しくない誰かさんに対して怒りをおぼえはじめ、やがてその誰かに対して優しくない自分になりはじめ、そんな自分に気づいては嫌気がさしはじめ、しまいには自分に対しても優しくない人になりはじめます・・・
逆に人にはとても言えないような「悪い想念」を信じている場合でも、そんな自分に苦しみ、疲れ果てた末に、「よし、自分を変えよう!」と決意をして、そこから人生を変えるきっかけに出来たとしたら…
いったい何が良くて、何が悪いのか、人生分かったもんじゃありません (;^_^A
人生万事塞翁が馬…
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる… のです。
人一人の人生を強力に支配する力すら持っている後天的なプログラムである「想念」ですが、実はこの「想念」の発生には先天的なプログラムである「体癖」が密接に関わっているんです!
「体癖」は、自分の感受性の中心がどこにあるのか? を教えてくれます。
どんな傾向を持っており、何に関心を持ち、どんな本能に突き動かされやすく、何について執着しやすく、どんな事についつい反応せずにはいられないか… について教えてくれるのです。
仮に、全く同じ人物となり、全く同じ体験をしたとしても、
それを どう受け止め、どう解釈し、どう認識して、どのような「想念」を生み出し、それをどう育て始めるか… は「体癖」が違えば全く別のものになりうるのです!
私は人間のエネルギーの状態を読み取るシステム「NES(ネス)」を使って、
クライアントさんが、今まさに苦しんでいる根本原因となっている「想念」から自由になっていただくお手伝いをさせてもらっていますが、
そのクライアントさんの心身のバランスを乱している「想念」には、先天的に持って生まれた「体癖」がほぼ必ず絡んでいることを私は発見しました。
だからこそ皆さんに「体癖」の重要性を知っていただきたいし、単なる性格診断みたいな一時的な流行ものとしてとらえて欲しくないと感じています。
これは日本が世界に誇るべき 天才 野口晴哉 が世に送り出した、一つの真理だと思っています。
大げさに聞こえるかもしれませんが…
知る知らないに… その人の人生がかかっている! とさえ思っています。
決して簡単な内容ではないので、深く理解をして人生に活かせるようになるには少し時間がかかるかもしれませんが、
彼(敵)を知り、己を知れば、百戦して危うからず… という孫氏の言葉があります。
「想念」を知り、「体癖」を知れば、百戦して(人生は)危うからず…
になっていくのでは? と真面目に感じています。
まぁ本当は…
「敵」と思っていたのが実は人生にとって何よりのギフトだったり、「味方」とか「自分」だと思っていたのが、最大の「敵」であり「罠」だったりするのが、このパラドックスな世界(この世)の面白さなのかもしれませんが…(;^_^A
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人間ロボット? ロボット人間?
私の世界観では・・・
人間って、かなりロボット的な要素があるな~と感じています。
昨日、楽気院の北村さん と話していた時につい口をついて出た言葉があったんですが、我ながら面白いと感じたのでシェアしてみます。(あくまでも私の世界観ですが)
人間とは・・・
① ある素材でできた体に、
② あるプログラムが組み込まれており、
③ ある動力源(モーターみたいな…)でそれが動いている、
そういうロボット的な存在に、
「私」とか「私がいる」という意識(魂?)が宿ることで、
一人の人間という存在になりうる・・・みたいな感覚です。
①の「ある素材」とは、色んな言い方があるのですが、私の中ではアーユルヴェーダの理論に出てくる「ドーシャ」がそれにあたります。
ヒポクラテスの四体液説や、シュタイナー教育などの知識がある方なら「気質」と言った方が分かりやすいかもしれません。
「ドーシャ」は一般的には3つに分けるのですが、私は4つに分ける説を信じていて、4つに分類している「気質」の方で考えた方が私の世界観には合致すると思います。
ご興味があれば「こちらのサイト」は簡潔にまとめてあって理解しやすいかな?
ちなみに・・・
我が家の 奥様 は、どういう訳だか…この「ドーシャ」が見えてしまいます。(;^_^A
一体どういう目をしているのか… 皆目見当がつきませんが、
ご興味のある方、もしくは同じように見えてる可笑しな目をお持ちの方、などなど…
是非「リマオラ」に遊びにきてください!(笑)
②の「あるプログラム」とは、私が良くお話している「体癖」に当たります。
この「体癖」という理論を世に生み出した、天才整体師 野口晴哉氏 は、基本の体癖となる10種類に、過敏型と遅鈍型の2つを加えて12種類と分類しましたが、
私は、過敏型と遅鈍型については先ほどの「ドーシャ:気質」で説明がつくのでは?と感じており、基本の10種類の「体癖」を理解することが大切だと感じています。
10種類の各体癖には、それぞれに対応する臓器や経絡(エネルギーの経路)があり、先ほどの「ドーシャ:気質」と合わせて、実は物質レベルだけの話ではなく物質的肉体の機能などを決定づけているエネルギー的なプログラムでもあると言った方がよいかもしれません。
そして体癖を理解する上で大切なのは、1つの「体癖」しか持っていない純粋種のような人間は存在しない… という事です。
野口晴哉氏もそれを「複合体癖」という言葉でそれを表現していますが、
私の「体癖講座」では、実はそこに理路整然としたメカニズムが存在していて、その「体癖」の組み合わせのメカニズムを理解することで、
どんな人の、どんな言動や、本能やこだわりのポイントと言った性格の癖であっても、全て説明ができてしまう事もお伝えしています。
ご興味があればいかがですか? (;^_^A
③の「ある動力源」とは、ご存知の方も多い「チャクラ」に当たります。
目には見えませんが「7つのチャクラ」という奴が存在しておりまして…
どの「チャクラ」が活性化して、どれが不活性になっているか?
普段主に どの「チャクラ」の動力を使って様々な活動しているか?
が凄~く重要な事だったりします。
例えばですが… 全く同じ「ドーシャ:気質」で、全く同じ「体癖の組み合わせ」を持っている2人の人物が仮にいたとしても、
「チャクラ」の活性度合いや、メインで使っている「チャクラ」が違えば、全く違う印象となり、肉体的な行動や健康度、モノの見方や考え方などの精神活動などにも雲泥の違いが現れてきます。
さらにはこの「チャクラ」、ただの動力源ではなく、感覚を磨いて、それぞれの「チャクラ」が持つ力を高めていくと、人生の様々な場面で役に立つ不思議なパワーを持っております。
そんな「チャクラ」について感覚を磨きたいのなら、楽気院の北村さんの「チャクラ勉強会」に参加されてみてはいかがですか?
前後体癖(5種)の北村さんはかなりエネルギーには敏感で、さながら「チャクラ」を使った「人間識別マシーン」のように大変便利な存在でもあります。(笑)
ちなみに私は9種捻れ体癖で、しょっちゅうギューっと好きで凝固しているタイプなので繊細な「チャクラ」の感覚は残念ながらよくわかりません。(;^_^A
とまぁ、こんな感じで私の世界観の中では 人間 とはエネルギー的に見ていくとかなりメカニカルな一面も持っている訳です。
だからこそ私がセラピーで使っているエネルギー測定システム「NES(ネス)」を使うことでも、目には見えない心の内側の情報がシステマティックに分かったりするんです!
こんなエネルギー的なメカニカルな存在に「私」という名の最後のピース(意識)がはまり込む事で、世界に2つと存在しない、それぞれの物語を体験するための「場」が生まれる・・・
これが 「この世」 というものなのかな?・・・などと妄想しております。(;^_^A
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NES(ネス)で分かる事 ①
これから不定期にはなりますが、
私がセラピーで使用しているエネルギー測定システム「NES(ネス)」を使って分かる情報の数々についてお伝えしようと思います。
「NES」によって沢山のエネルギー情報が分かるのですが、すべてを説明するのは無理がありますので、私がセラピーにおいて重視している情報についてなるべく分かりやすくお話出来たらと思っています。
先日の記事でも書いた通り、私の経験と独断で言わせてもらうと「NES」が見せてくれるのは目には見えない「心」の領域の情報なんです。
つまり「目には見えないもう一つの体」の情報です。
逆に言えば「体」とは「目に見えるもう一つの心」という事になります。
だから「心」の情報だという事を前提にお話しを進めていこうと思います。
第1回目は、「軸」について。
体の軸とか中心といったら… 有名な「丹田」という言葉がありますね。
同じように「心」にも軸があると思って下さい。
そして「NES」ではこの2つの軸と、さらには私たちが暮らしている地球の軸との調和の度合いを見せてくれます。
体と、心と、地球について、3つの軸の調和度をこの画面で確認できます。
赤道軸、磁極軸、垂直軸といった項目が確認できるかと思いますが、
まぁ簡単に言えば、縦・横・高さの3次元的世界に、さらに時間をプラスした4次元の世界で生きているのが私たちな訳ですから、
その辺の軸がどのくらいズレているか? について分かる画面だと思って下さい。
ちなみに「グラウンディング」の項目が高い反応を示した場合、「アーシング」が必要ですよ!という意味です。地球と素足で繋がれ!って事です。電化製品みたいには簡単にショートしませんが、体にも相当の負荷がかかっている事が確認できます。
これらの軸のズレは、高速での絶え間ない移動(飛行機など)や、人工的な音、化学毒素、地磁気や電磁波の影響などなど・・・でも発生するんですが、
私は主に「心」の領域から分析するので…、ちょっと見方が変わります。
分かりやすく言えば、
- 自分以外の他者の領域に踏み込み過ぎていないか?
- 未来や過去など、「今」以外に意識が飛びすぎていないか?
- 心も体も真直ぐに直立出来ているか?
私はそんな感じで見ています(NES HEALTH社の公式見解ではありません)
軸がズレるとは単純に「心」と「体」の軸がズレて、離れ離れの様になっていますよ!…って考えても良いかと思います。
地球の軸との関係はあまり気にしていません。太陽や地球の状態でも大きく影響を受けるエネルギー情報でもあるのですが、そこはあまり過度に気にしても仕方がない領域でもありますので…(興味深い領域ではありますが…)
じゃあ…「心」と「体」の軸がズレると何が良くないのか? と言いますと、
まずはエネルギー不足になることがあげられると思います。本来2つで1つのモノが離れ離れになっている様なもんですから、そんな状態が長く続くようなら良くないに決まっています。
特に肉体という超高性能なメカニズムを機能させていくには、このエネルギー不足は深刻な問題かもしれません。
さらには「心」の軸がズレて暴走までし始めると、エネルギー不足で頑張ってくれてる体にさらに追い打ちをかけたりします。
しんどいくせに休まず仕事を頑張ったり、休みなのに頑張って遊びに出かけたり、好きな人じゃなく嫌な人と一緒に過ごしたり(特に頭の中で…)、暴飲暴食してみたり、時々死にたくなったり・・・・・
そういう状態(有り様)をこの画面は教えてくれます。
あなたが、ある人物や、ある出来事などについて、グルグル・モヤモヤとして、エネルギーを無駄遣いしている時にどのくらい軸がズレているのか?
つまりは…
どのくらい自分自身の人生を生きれていないのか?
自分自身と一緒に居ずに、実在しない何物かになろうともがいてるのか?
外の世界をコントロールしようと、どのくらい躍起になってるのか?
どのくらい「今ここ」に意識がないのか?
・・・・・
こういう事が分かるので、数ある「NES」の情報の中でも最優先にチェックしないといけない項目(画面)でもあるのです。
さて…
あなたはどのくらい自分の「体」をお留守にしていますか?
誰について… 何について… 考えている時にお留守にするのでしょうか?
その用件が、それほどまでに大事な用件なのかどうか…? について検証したことはありますか?
もしかしたら… もっと大事な用件を忘れていませんか?
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心とは… 目には見えない身体
私はセラピーにおいて、クライアントさんを現在悩ませている問題の本当の原因となっている「想念・価値観・思い込み…」等々を見つけるために、
「NES(ネス)」というエネルギー測定システムを使っているのですが、
「NES(ネス)」で測定しているエネルギーとは、ようするに「心」の状態だと思っております。(あくまでも私の臨床経験に基ずく考察であることを前提に好き勝手に書いてます。)
クライアントさんにはよく、「見えない身体の情報をスキャンして見せてくれるんですよ~」って説明していますが、私の解釈では見えない身体とはつまり「心」の事です。
人間は、見えてる身体(肉体)と、見えない身体(心)の2つの身体を少なくとも持っているという事です。
「心」の存在を疑う人はいないかと思いますが、
私に言わせれば「心」とは目には見えないけどあなたの中に確かに存在する「目には見えないもう一人の自分(身体)」と例える事も出来るかと思います。
そして見えない身体(心)の方にも実は、見えてる身体(肉体)の内部に見られるような精巧で緻密でシステマティックな構造が存在しているのですが、そのシステムは結局は「心の動きや働き」と連動するシステムであり、
「心の動きや働き」は「肉体の動きや働き」と切っても切り離せないものであり、この2つは同じものであるんです。
このことが分かって以来、「NES(ネス)」が見せてくれるクライアントさんの情報の分析や、セラピーのスタイルが大きく変わりました。
5年前に初めて「NES(ネス)」を使い始めた頃とは雲泥の差があると思います。
結局、「心」を無視して肉体を…、その人を…、見ようとしても無理があるし、逆もまた然りなんです!
最近では「NES(ネス)」に限らず様々な波動測定システムが出回っているようですが、そこに触れないで単に出てきた情報に対応する、栄養素や、漢方や、レメディや、パワーストーンなどを使ってもどうしても効果が出ないケースが出てくると思います。
簡単な例えで言えば…
長時間同じ姿勢でのトラックの運転や、長時間猫背でPCやスマホをいじっていれば、どこかしらにコリが生まれてしんどくなるように、
長時間同じ事について悩んでいたり、長時間誰かについて怒ったり、悲しんだり、求めすぎたりしていれば…、どこかしらに「心」のコリは生まれるのは必然な訳です。
そして「心」のコリはやがて、体のコリとしてどこかに現れてきます。
そこを変えようとはせずに、向き合おうとはせずに、手軽に口に入れるものや身に着けるものだけで、しんどい状態や症状のみを何とかしようとしても、それはなかなかに無理があるというものです。虫が良すぎるってもんです。
エネルギー(心)とは本来流動的で一時たりとて固定した状態ではいられない自由なものだと思います。でも人は良くその自由な流れを止めがちです。
想念・価値観・思い込み… といった、「心」のコリによって。
心も体も、ある状態で居続ける事が不自然なんです。代り映えのしない日常でも全く同じ1日なんて存在しません。明晰な心で意識的に生きてさえいれば、代り映えのしないと思えた日常の中にたくさんの奇跡が存在することにも気づけるかもしれません。
だからこそ、明晰な心で意識的に生きるために、
想念・価値観・思い込み… といった、「心」のコリに気づくことから全ては始まります。
「女心と秋の空」ってよく言いますが…
こだわって頑固になりがちな男性よりも、移り気でコロコロ変わる心を持つ女性の方が、「心」のコリが出来にくい傾向はあるのかもしれませんね。
だから男よりも長生きするのかな?…(;^_^A
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頭(騎手)と 体(馬)
最近、私の前職である競馬界での出来事を記事に書いてるんですが…
途中で腰椎ヘルニアを発症したりしながらも…、なんやかんやで20年近くの間 馬に乗って、馬の調教も行ってきました。
(約10年前の私…(;^_^A)
競走馬なので当然ですがレースで良い成績を上げることが求められる訳です。
私が働いていた頃は、武豊などがトップジョッキー(騎手)として君臨していたんですが、ぶっちゃけ言って「人が背中に乗る」という行為自体が馬にとっては邪魔でしかないんです。
どんなに凄いスピードやスタミナを備えた名馬でも、人が乗るという事は「速く、バテずに、走る」という視点からすれば邪魔でしかないんです。
100の能力がある馬がいたとして、レースでいかにして90や80ぐらいの力を引き出せるかが大切で、
つまり、いかにしてマイナス分を減らしていくかが大切なんです。
名人・達人が乗ったからと言って100が150になることはないのです。
だから武豊みたいな名人が乗ったから 速く走れた! なんて事はなく、
名人と言われる騎手ほど「いかに馬に負担をかけずに、馬の邪魔をせずに気持ちよく走らせてあげれるか?」を考えて実践出来ているからこそトップでいられる訳です。
でも競走馬がもし、競馬場のコースを逸脱せずにきちんと周回してゴールを目指して真面目に走ってくれる生き物であるならば騎手なんていらない訳です。
ゴールまでスタミナが持つようにペース配分を考えて走ってくれるのなら騎手という重りは邪魔でしかないんです。
騎手の存在意義はまさにここにあります!
馬にしてみれば別にゴールなんか目指さずに好き勝手に走りたいんだと思いますが…
日々の調教を通じて「人間側の意図」を何となく理解したり、言う事聞かないとムチで叩かれたり、言う事聞いたら可愛がってもらって美味しいエサがもらえたり…
を繰り返すうちにレースに勝つという人間側の意図を何となくくみ取れるようになり、競走馬という役割を演じられるようになっていくんだと思います。
これって… 人間にも何となく当てはまることだな~って思います。
馬が「体」、騎手が「頭」に相当する感じですかね?
人と馬で違うところと言えば…
馬の場合、騎手の目的(レースに勝利する)に応えるべく、日々の調教などを通じて競走馬という役割を理解し演じられるようになっていくのに対して、
人の場合、頭(騎手)の目的(夢や目標、社会や他者からどう見られるか、どう評価されるか…)を叶えるべく、頭(騎手)の方が先に「期待にそえる何者」かになろうとして、ある役割を演じる事を始めるようになっていくのではないでしょうか?
その「何者」かになるための過酷?なレース(人生)を走り切るためには、当然ですが 体(馬)が必要です。
そして有難いことに、体(馬)は別段調教などをせずとも、頭(騎手)の意志に従おうとしてくれる大変賢い存在でもあります。
ただ問題なのは… そもそも何のためのレース(人生)に出走していたのか?という部分かもしれません。
これを忘れてしまって、おかしな頑張りをしている方が多いのではないでしょうか?
競走馬の場合、レースに勝利して賞金や名声を得ることが目標だったりしますが、これは騎手や調教師、そして馬主の目標であり、決して競走馬が生まれてきたときに望んだ目標ではありません(もしかしたらアフリカのシマウマじゃなく、あえて競走馬を選んで生まれてきた馬かもしれませんが…(;^_^A)
人間の場合、レース(人生)のゴール(目的)は人それぞれです。
お金持ちになりたい!
素敵な人と出会いたい!
成功したい!
健康になりたい!
・・・
目指したいゴールは様々なんですが… 人間の場合、本当に目指すべきゴールというモノがあるのならば… 実は体(馬)の方がそれについて良く分かっていたりするのが真実なのではないでしょうか?
本当はそんなにゴールのバリエーションがあるわけではなく、誰もがたった一つのゴールにたどり着くために何度も何度もレース(人生)に出走しているのではないでしょうか?
なのに… 頭(騎手)の方が暴走してしまって、おかしなゴールを設定してしまい、従順で有能な 体(馬)はそれに従って頑張ってくれているのではないでしょうか?
みんなこういった 頭(騎手)と、体(馬)の、機能不全がレース(人生)の中で起きている感じがします。(もちろん私も含めて…)
実際の競馬のレースでは、最後のラストスパートまでは、騎手は無駄な事は極力避けて、馬が機嫌を損ねないように、馬の負担にならないように、じっとしながらゴールへむけてのより良いポジションに位置できるように最低限の指示しかだしません。
そして最後のラストスパートでは、疲れの見える馬を叱咤激励しながら人馬一体となって走り切れた馬と騎手だけが勝利をつかみ取れます。
人生と言うレースも同じような気がします。私たちが普段一番心掛けないといけない事は 体(馬)の邪魔をしない! ということかもしれません。
そして知らず知らずに勝手に設定したゴールに 体(馬)を誘導しようとする 頭(騎手)に気づいていることが大切だと感じています。
その 頭(騎手)の暴走を起こしているのが、あなたの「想念」です。
「想念」に気づき、「想念」への執着から自由になり、本当のゴール、本来のレースの目的さえ思い出せば、 頭(騎手)は本来の有能さを取り戻し、適切な指示を 体(馬)に伝えられるようになり、人馬一体となって力強くゴールへと向かえるようになります!
頭(騎手)が 慌てて、焦って、心配して、あれやこれやと頑張りだして…
オーバーアクションでジタバタしたり、八方ふさがりになったと感じて何も出来なくなった時ほど…
「いかに体(馬)に負担をかけずに、体(馬)の邪魔をせずに気持ちよく走らせてあげれるか?」を思い出してみて下さい。
そのために 頭(騎手)は、何をする必要があり、何をしないでいる必要があるのか?
私も忘れないようにしたいと思います。
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