ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

もう一人のあなた(体)の声を知りませんか?

久々にNESについて書こう!と思い立ったので…

本当はホームページの「NES」や「セラピー」についてのページをそろそろ書き換えないとな~って思ってるんですが、めんどくさがり(8種体癖のせい…?)の性質もあって… ほったらかしになっていますが(;^_^A

 

私が約6年間「NES」を使ってきて、その間に様々な臨床経験や探求・学習を通じてたどり着いた、あくまでも私独自の見解である事をご了承いただいた上で偉そうに述べてみようと思います。

 

これまで「NES」の事を、人間のエネルギーを読み取るシステムだとか、潜在意識の情報を見える化してくれるツールだとか、色々と説明してきたのですが、

 

これって結局…「体の声(言い分)」を知ることができるシステムなんだな~! って最近はシンプルに考えるようになってきました。

 

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潜在意識 = 「体」である!… と言う考えがある事は以前から知ってはいましたが、最近ようやく私の中でも「間違いない!」って腑に落ちてきました。

 

現在の私は、

顕在意識 = 頭 = 自覚できる意識 = 頭としての「私」

潜在意識 = 体 = 自覚しにくい意識 = 体としての「私」

という言葉で認識しています。

「頭」という言葉を「心」という言葉に変えてもいいのですが、「体」にも「心」のようなものがある事は分かっているので、私はあえて「頭」という言葉を使っています。

 

現代を生きる多くの人々は普段、頭の中で考えたり喋ったりしている「自分の声 = 思考」に従って人生を生きているはずです。でもこの「思考」に従って何十年も生きてきた結果が必ずしも自分自身に幸せをもたらすものではない… という事実も痛いくらいに経験済みなのではないでしょうか?

 

なぜ「自分の声 = 思考」に従ったはずなのに人生が上手くいかないような現象を体験するはめに会うのでしょう?。

なぜ時々無性に「自分の声 = 思考」に従いたくない自分がいるのでしょう?。

なぜこの「自分の声 = 思考」は度々自分自身の事を否定したり恥だと考えたり価値がないなどと言うのでしょう?。

なぜ自分自身の声のはずなのに自分では止めることが出来ずに苦しむのでしょう?。

 

実は「思考(考え)」と言うものに「私の思考(考え)」などと言うものは存在していません。冷静になったら分かるはずですが全ての「考え」は、私たちが言葉を覚えて扱いだしてからのちに、親や兄弟、先生や友人、上司や同僚、テレビやネットなど外部から教えられ…刷り込まれ…いつしか信じるようになってしまった…類のものであり、全て「自分の外部からきた考え」であるはずです。

 

つまり私たちは随分と長い間、自分が生み出したモノではない「考え」に無自覚に従いながら人生を送ってきたと言える訳です。結局はどういう「考え」がその時その時の自分にとって、しっくりきたり、役にたちそうだったり、信じるに値したり、生き抜くために必要だったのか…という事だけだと思います。(体癖による傾向もかなり影響しているはずです!)

 

私たちは物心ついた頃から、こうやって自分の頭に刷り込んで信じてしまった「考え」というフィルター(色眼鏡)を通して人生に起きる出来事を解釈し、意味づけをして、記憶してきたはずですが、その記憶とは自分の外部からやってきた信念や想念、価値観や思い込みといったものに汚染された、いわば自分自身にとっては「嘘の記憶」だったりするんです。

 

そろそろこうした「嘘の記憶」による「嘘の自分」として無自覚に生きる事をやめた方が良いのではないでしょうか?

 

では「本当の記憶」や「本当の自分」とでも言うべきものがあるのでしょうか?。それは私には分かりません…。結局はどういう解釈をして、どういう意味づけにして自分の人生をどんな風に物語るのか…という事が「頭としての私」に与えられた最大の仕事であり特権なのかもしれません。つまり人生の味付けは自分次第であると言えます。

 

でも「思考」によって解釈や意味づけをされる前の「あるがままの体験」や「あるがままの自分」を記憶している存在が誰にでもいます。

 

それが「体としての私」であり、潜在意識の情報でもあります。

 

潜在意識と顕在意識のポテンシャルの差は、96 対 4 とも言われるぐらいに段違いです。頭が価値観や思い込みといったフィルター越しに偏った見方しか出来ないのに対して、体はある状況における情報を膨大かつ正確に把握しているスーパーコンピューターのような存在です。

 

そして実は体にも言い分と言うか主張したいものや表現したいものがあるんです。私はこれを純粋動機とか純粋欲求と呼んだりもしていますが、ここに思考の世界にあるような、正邪善悪、好き嫌い、利害損得、勝ち負け、愛憎といった価値判断基準はありません。

 

どうした方がより〇〇か?…みたいな条件付きの動機を持つのが「頭の私」ならば、

ただ、どうしたいか?…という理由のない動機を持つのが「体の私」です。

 

ごく小さい頃は誰だってこの純粋動機を満たしたくて…、それが何よりの喜びで生きていたはずなのですが…、いつからか思考によって分離された陰陽対立の片方のみの価値観を満たすべく生きるようになり、それを願望実現、自己実現だと勘違いするようになってしまっているのが現代社会だと感じています。

 

そろそろ人は「体の私」と「頭の私」の本来の関係を取り戻し、もっと調和したバランスの中で生きるべきなんじゃないでしょうか?

 

「体」はいつも「頭」の事を見つめています。気にかけてくれています。そして「頭」の想いを出来るだけ叶えてあげるべく、けなげにも日々活動して頑張ってくれています…昼も夜も…。文字通り「体を貸して」くれているんです。つまり基本的に「体」は「頭」に従おうとしてくれているのです(自分の方が圧倒的にポテンシャルが高いにも関わらず…)。なのに「頭」は「体」の事をどれだけ気にしてあげているのでしょう?。

 

何となく嫌なのに無理やり何かを頑張っていませんか?

ホントはしんどいのに無理して仕事や家事に追われて無視していませんか?

自分の本音よりも、他者や世間の意見を優先していませんか?

痛みや症状は体からの大事な訴えなのかもしれないのに、薬や何かで抑えたり消し去ろうとしていませんか?

食事や排せつなど日常の何気ない行動をしている時、体と一緒にしてあげていますか?、スマホとかいじりながら…気になる誰かの事を考えながら…食事や排せつは体任せにしていませんか?

 

実は全て私自身もやってきた事です…(;^_^A。自分がいかに「頭」と「体」が別々の事をしながら(させながら)多くの時間を生きてきたかに気づいた時は驚愕しました…(;^_^A。つまり心ここにあらず…の状態で私は何十年も「体」を無視してきたんです。

 

凄~く当たり前の話ですけど…「頭」と「体」は死ぬまで一緒です。本来誰よりもずっと一緒にいて助け合い協力し合いながら生きていかなきゃいけない共同体のような存在です。なのに多くの人の「頭」は過去を悔やんだり、まだ来ぬ未来を心配し過ぎたり、あの人やこの人さえこうしてくれれば、と考えてはあっちへフラフラ、こっちへフラフラと「体」の事をお留守にしています。

 

そんな生き方を続けていても80年ぐらい生きれてしまう私たちの「体」って…、もし私たちの「頭」が「体」と一緒に連れ添って生きる事を実践出来たとしたら…はたしてどのくらい生きられるのでしょう?。「頭」がいつも自分の方に意識を向けてくれて何をするにも一心同体で事をなせたとしたら…「体」はどれだけ嬉しいのでしょう?。もしかしたらそれだけで「体」は凄く元気になって命の炎が燃え盛って、大概の病気など自己治癒力で治せてしまうんじゃないかと思っている私はおかしいのでしょうか?。

 

実は「体」って、まだまだ知られていないとんでもない可能性やポテンシャルを秘めていると思うんです!

 

そんな風に私たちが普段、意識出来ているようで実は全然意識していなかったりする「体の声」を目に見える形で見せてくれ教えてくれるのが「NES」なんです。(…正確には私がそういう視点から「NES」の情報を分析しているって話なんですが…(;^_^A)

 

今私は人生がスムーズに上手くいってる!という方は恐らく、「頭」と「体」が同じ方向を向いて力を合わせて進んでいるのかもしれません。「体の私」もストレスを感じずに喜んでいるかと思います。「NES」が見せてくれるのは必ずその逆の状態なんです。

 

私にとって「NES」は、クライアントさんが今現在の人生において、最も「頭の私」と「体の私」の調和の不一致が起こっているある状況についての情報を、たった15秒程のスキャンで見せてくれるとんでもなく有難いシステムです。しかも絶対に「NES」には嘘がつけません。(※分析する側の私にはいつでも嘘はつけますし、簡単に?騙せもしますが…(;^_^A)

 

私たちは体が無ければ何も出来ません。この当たり前すぎる事実は普段は何となく意識出来ていても、人生の一大事!!みたいな問題が起きるといとも簡単に忘れられて、私たちは無自覚にも「頭の私」に乗っ取られてしまい「考える」という事に膨大なエネルギーを奪われてしまいます。そんな時にも実は「体の私」は他ならぬ生涯のパートナーを救うためにサインやメッセージを送ってくれているのですが…

 

どうも人間はこういう時こそ この大切なサインやメッセージに自分ひとりではなかなか気づけない仕組みになっているようです…(;^_^A

 

あなたがこれからの人生において何を望み、どこへ向かいたいのか?を決めるのはあなたの自由なんですが、「体の私」の協力が得られないまま進んでもいずれ苦しい道のりとなるかと思います。基本的に「頭」に従おうとしてくれる「体」ではありますが、「頭」と言うのは利己的な欲求につかまりやすく誤作動を起こしやすい性質を持っています。その誤作動によって「体」は過酷な状況で「頭」の欲求に応えようと頑張っているんです。まるでブレーキを踏みながらアクセルを踏むように人生を生きている方がどんなに多いことか…(;^_^A

 

どれだけ強力に「頭の私」だけで何かを思い望んだとしても半人分以下の力しか持ちえません。そして当然ながら「体の私」は「頭の私」が苦しむのを望んではいません。これは生涯のパートナーというのもありますが、「頭の私」が生み出したストレスを実際に感じて苦しむのは「体の私」でもあるからです。

 

こんな状態を続けるから…人間は病気にもなるんだろうな~…って思います。

 

だから私は「NES」を使って、あなたの「体」が、あなたの「頭」に対して伝えたい事を探り、2つの「私」に起きている不調和の原因(その多くは頭側の誤作動にありますが…)をみつけ、あなたの「体」と「頭」がこれまでよりも仲良くなって同じ方向を向いて生きていくためのお手伝いをしているんです。(これを自分自身との結婚ともいいます!)

 

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キネシオロジーなどのようにピンポイントで知りたい情報を探れるようなものではありませんが、「NES」は今現在のあなたにおいて、「体の私」が「頭の私」に対して真っ先に伝えたくて気づいてほしい人生において今一番大事な情報を、わずか15秒でセラピスト側の主観などにも影響されずに正確に見せてくれる優れたシステムであることは間違いないようです。

 

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