ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

人間ロボット? ロボット人間?

私の世界観では・・・

 

人間って、かなりロボット的な要素があるな~と感じています。

 

昨日、楽気院の北村さん と話していた時につい口をついて出た言葉があったんですが、我ながら面白いと感じたのでシェアしてみます。(あくまでも私の世界観ですが)

 

人間とは・・・

 

① ある素材でできた体に、

② あるプログラムが組み込まれており、

③ ある動力源(モーターみたいな…)でそれが動いている、

 

そういうロボット的な存在に、

 

「私」とか「私がいる」という意識(魂?)が宿ることで、

一人の人間という存在になりうる・・・みたいな感覚です。

 

 

①の「ある素材」とは、色んな言い方があるのですが、私の中ではアーユルヴェーダの理論に出てくる「ドーシャ」がそれにあたります。

ヒポクラテスの四体液説や、シュタイナー教育などの知識がある方なら「気質」と言った方が分かりやすいかもしれません。

 

「ドーシャ」は一般的には3つに分けるのですが、私は4つに分ける説を信じていて、4つに分類している「気質」の方で考えた方が私の世界観には合致すると思います。

 

ご興味があれば「こちらのサイト」は簡潔にまとめてあって理解しやすいかな?

 

ちなみに・・・

我が家の 奥様 は、どういう訳だか…この「ドーシャ」が見えてしまいます。(;^_^A

 

ameblo.jp

 

一体どういう目をしているのか… 皆目見当がつきませんが、

ご興味のある方、もしくは同じように見えてる可笑しな目をお持ちの方、などなど…

是非リマオラに遊びにきてください!(笑)

 

 

②の「あるプログラム」とは、私が良くお話している「体癖」に当たります。

 

この「体癖」という理論を世に生み出した、天才整体師 野口晴哉氏 は、基本の体癖となる10種類に、過敏型と遅鈍型の2つを加えて12種類と分類しましたが、

 

私は、過敏型と遅鈍型については先ほどの「ドーシャ:気質」で説明がつくのでは?と感じており、基本の10種類の「体癖」を理解することが大切だと感じています。

 

10種類の各体癖には、それぞれに対応する臓器や経絡(エネルギーの経路)があり、先ほどの「ドーシャ:気質」と合わせて、実は物質レベルだけの話ではなく物質的肉体の機能などを決定づけているエネルギー的なプログラムでもあると言った方がよいかもしれません。

 

そして体癖を理解する上で大切なのは、1つの「体癖」しか持っていない純粋種のような人間は存在しない… という事です。

野口晴哉氏もそれを「複合体癖」という言葉でそれを表現していますが、

 

私の「体癖講座」では、実はそこに理路整然としたメカニズムが存在していて、その「体癖」の組み合わせのメカニズムを理解することで、

どんな人の、どんな言動や、本能やこだわりのポイントと言った性格の癖であっても、全て説明ができてしまう事もお伝えしています。

 

ご興味があればいかがですか? (;^_^A

 

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③の「ある動力源」とは、ご存知の方も多い「チャクラ」に当たります。

 

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目には見えませんが「7つのチャクラ」という奴が存在しておりまして…

どの「チャクラ」が活性化して、どれが不活性になっているか?

普段主に どの「チャクラ」の動力を使って様々な活動しているか?

が凄~く重要な事だったりします。

 

例えばですが… 全く同じ「ドーシャ:気質」で、全く同じ「体癖の組み合わせ」を持っている2人の人物が仮にいたとしても、

 

「チャクラ」の活性度合いや、メインで使っている「チャクラ」が違えば、全く違う印象となり、肉体的な行動や健康度、モノの見方や考え方などの精神活動などにも雲泥の違いが現れてきます。

 

さらにはこの「チャクラ」、ただの動力源ではなく、感覚を磨いて、それぞれの「チャクラ」が持つ力を高めていくと、人生の様々な場面で役に立つ不思議なパワーを持っております。

 

そんな「チャクラ」について感覚を磨きたいのなら、楽気院の北村さんの「チャクラ勉強会」に参加されてみてはいかがですか?

前後体癖(5種)の北村さんはかなりエネルギーには敏感で、さながら「チャクラ」を使った「人間識別マシーン」のように大変便利な存在でもあります。(笑)

 

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ちなみに私は9種捻れ体癖で、しょっちゅうギューっと好きで凝固しているタイプなので繊細な「チャクラ」の感覚は残念ながらよくわかりません。(;^_^A

 

 

とまぁ、こんな感じで私の世界観の中では 人間 とはエネルギー的に見ていくとかなりメカニカルな一面も持っている訳です。

だからこそ私がセラピーで使っているエネルギー測定システム「NES(ネス)」を使うことでも、目には見えない心の内側の情報がシステマティックに分かったりするんです!

 

こんなエネルギー的なメカニカルな存在に「私」という名の最後のピース(意識)がはまり込む事で、世界に2つと存在しない、それぞれの物語を体験するための「場」が生まれる・・・

 

これが 「この世」 というものなのかな?・・・などと妄想しております。(;^_^A

 

 

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NES(ネス)で分かる事 ①

これから不定期にはなりますが、

私がセラピーで使用しているエネルギー測定システム「NES(ネス)」を使って分かる情報の数々についてお伝えしようと思います。

 

NES」によって沢山のエネルギー情報が分かるのですが、すべてを説明するのは無理がありますので、私がセラピーにおいて重視している情報についてなるべく分かりやすくお話出来たらと思っています。

 

先日の記事でも書いた通り、私の経験と独断で言わせてもらうと「NES」が見せてくれるのは目には見えない「心」の領域の情報なんです。

つまり「目には見えないもう一つの体」の情報です。

逆に言えば「体」とは「目に見えるもう一つの心」という事になります。

 

だから「心」の情報だという事を前提にお話しを進めていこうと思います。

 

第1回目は、「軸」について。

 

体の軸とか中心といったら… 有名な「丹田」という言葉がありますね。

同じように「心」にも軸があると思って下さい。

そして「NES」ではこの2つの軸と、さらには私たちが暮らしている地球の軸との調和の度合いを見せてくれます。

 

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体と、心と、地球について、3つの軸の調和度をこの画面で確認できます。

 

赤道軸、磁極軸、垂直軸といった項目が確認できるかと思いますが、

まぁ簡単に言えば、縦・横・高さの3次元的世界に、さらに時間をプラスした4次元の世界で生きているのが私たちな訳ですから、

その辺の軸がどのくらいズレているか? について分かる画面だと思って下さい。

 

ちなみに「グラウンディング」の項目が高い反応を示した場合、「アーシング」が必要ですよ!という意味です。地球と素足で繋がれ!って事です。電化製品みたいには簡単にショートしませんが、体にも相当の負荷がかかっている事が確認できます。

 

これらの軸のズレは、高速での絶え間ない移動(飛行機など)や、人工的な音、化学毒素、地磁気や電磁波の影響などなど・・・でも発生するんですが、

私は主に「心」の領域から分析するので…、ちょっと見方が変わります。

 

分かりやすく言えば、

  • 自分以外の他者の領域に踏み込み過ぎていないか?
  • 未来や過去など、「今」以外に意識が飛びすぎていないか?
  • 心も体も真直ぐに直立出来ているか?

 

私はそんな感じで見ています(NES HEALTH社の公式見解ではありません)

 

軸がズレるとは単純に「心」と「体」の軸がズレて、離れ離れの様になっていますよ!…って考えても良いかと思います。

 

地球の軸との関係はあまり気にしていません。太陽や地球の状態でも大きく影響を受けるエネルギー情報でもあるのですが、そこはあまり過度に気にしても仕方がない領域でもありますので…(興味深い領域ではありますが…)

 

じゃあ…「心」と「体」の軸がズレると何が良くないのか? と言いますと、

 

まずはエネルギー不足になることがあげられると思います。本来2つで1つのモノが離れ離れになっている様なもんですから、そんな状態が長く続くようなら良くないに決まっています。

 

特に肉体という超高性能なメカニズムを機能させていくには、このエネルギー不足は深刻な問題かもしれません。

 

さらには「心」の軸がズレて暴走までし始めると、エネルギー不足で頑張ってくれてる体にさらに追い打ちをかけたりします。

 

しんどいくせに休まず仕事を頑張ったり、休みなのに頑張って遊びに出かけたり、好きな人じゃなく嫌な人と一緒に過ごしたり(特に頭の中で…)、暴飲暴食してみたり、時々死にたくなったり・・・・・

 

そういう状態(有り様)をこの画面は教えてくれます。

 

あなたが、ある人物や、ある出来事などについて、グルグル・モヤモヤとして、エネルギーを無駄遣いしている時にどのくらい軸がズレているのか?

 

つまりは… 

 

どのくらい自分自身の人生を生きれていないのか?
自分自身と一緒に居ずに、実在しない何物かになろうともがいてるのか?
外の世界をコントロールしようと、どのくらい躍起になってるのか?
どのくらい「今ここ」に意識がないのか?

・・・・・

 

こういう事が分かるので、数ある「NES」の情報の中でも最優先にチェックしないといけない項目(画面)でもあるのです。

 

さて… 

あなたはどのくらい自分の「体」をお留守にしていますか?

誰について… 何について… 考えている時にお留守にするのでしょうか?

その用件が、それほどまでに大事な用件なのかどうか…? について検証したことはありますか?

もしかしたら… もっと大事な用件を忘れていませんか?

 

 

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心とは… 目には見えない身体

私はセラピーにおいて、クライアントさんを現在悩ませている問題の本当の原因となっている「想念・価値観・思い込み…」等々を見つけるために、

NES(ネス)」というエネルギー測定システムを使っているのですが、

 

NES(ネス)」で測定しているエネルギーとは、ようするに「心」の状態だと思っております。(あくまでも私の臨床経験に基ずく考察であることを前提に好き勝手に書いてます。)

 

クライアントさんにはよく、「見えない身体の情報をスキャンして見せてくれるんですよ~」って説明していますが、私の解釈では見えない身体とはつまり「心」の事です。

 

人間は、見えてる身体(肉体)と、見えない身体(心)の2つの身体を少なくとも持っているという事です。

 

「心」の存在を疑う人はいないかと思いますが、

私に言わせれば「心」とは目には見えないけどあなたの中に確かに存在する「目には見えないもう一人の自分(身体)」と例える事も出来るかと思います。

 

そして見えない身体(心)の方にも実は、見えてる身体(肉体)の内部に見られるような精巧で緻密でシステマティックな構造が存在しているのですが、そのシステムは結局は「心の動きや働き」と連動するシステムであり、

 

「心の動きや働き」は「肉体の動きや働き」と切っても切り離せないものであり、この2つは同じものであるんです。

 

 このことが分かって以来、「NES(ネス)」が見せてくれるクライアントさんの情報の分析や、セラピーのスタイルが大きく変わりました。

 

5年前に初めて「NES(ネス)」を使い始めた頃とは雲泥の差があると思います。

 

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結局、「心」を無視して肉体を…、その人を…、見ようとしても無理があるし、逆もまた然りなんです!

 

最近では「NES(ネス)」に限らず様々な波動測定システムが出回っているようですが、そこに触れないで単に出てきた情報に対応する、栄養素や、漢方や、レメディや、パワーストーンなどを使ってもどうしても効果が出ないケースが出てくると思います。

 

簡単な例えで言えば…

長時間同じ姿勢でのトラックの運転や、長時間猫背でPCやスマホをいじっていれば、どこかしらにコリが生まれてしんどくなるように、

 

長時間同じ事について悩んでいたり、長時間誰かについて怒ったり、悲しんだり、求めすぎたりしていれば…、どこかしらに「心」のコリは生まれるのは必然な訳です。

 

そして「心」のコリはやがて、体のコリとしてどこかに現れてきます。

 

そこを変えようとはせずに、向き合おうとはせずに、手軽に口に入れるものや身に着けるものだけで、しんどい状態や症状のみを何とかしようとしても、それはなかなかに無理があるというものです。虫が良すぎるってもんです。

 

エネルギー(心)とは本来流動的で一時たりとて固定した状態ではいられない自由なものだと思います。でも人は良くその自由な流れを止めがちです。

 

想念・価値観・思い込み… といった、「心」のコリによって。

 

心も体も、ある状態で居続ける事が不自然なんです。代り映えのしない日常でも全く同じ1日なんて存在しません。明晰な心で意識的に生きてさえいれば、代り映えのしないと思えた日常の中にたくさんの奇跡が存在することにも気づけるかもしれません。

 

だからこそ、明晰な心で意識的に生きるために、

想念・価値観・思い込み… といった、「心」のコリに気づくことから全ては始まります。

 

 

「女心と秋の空」ってよく言いますが…

 

こだわって頑固になりがちな男性よりも、移り気でコロコロ変わる心を持つ女性の方が、「心」のコリが出来にくい傾向はあるのかもしれませんね。

 

だから男よりも長生きするのかな?…(;^_^A

 

 

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頭(騎手)と 体(馬)

最近、私の前職である競馬界での出来事を記事に書いてるんですが…

途中で腰椎ヘルニアを発症したりしながらも…、なんやかんやで20年近くの間 馬に乗って、馬の調教も行ってきました。

 

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(約10年前の私…(;^_^A)

 

競走馬なので当然ですがレースで良い成績を上げることが求められる訳です。

 

私が働いていた頃は、武豊などがトップジョッキー(騎手)として君臨していたんですが、ぶっちゃけ言って「人が背中に乗る」という行為自体が馬にとっては邪魔でしかないんです。

 

どんなに凄いスピードやスタミナを備えた名馬でも、人が乗るという事は「速く、バテずに、走る」という視点からすれば邪魔でしかないんです。

 

100の能力がある馬がいたとして、レースでいかにして90や80ぐらいの力を引き出せるかが大切で、

つまり、いかにしてマイナス分を減らしていくかが大切なんです。

名人・達人が乗ったからと言って100が150になることはないのです。

 

だから武豊みたいな名人が乗ったから 速く走れた! なんて事はなく、 

名人と言われる騎手ほど「いかに馬に負担をかけずに、馬の邪魔をせずに気持ちよく走らせてあげれるか?」を考えて実践出来ているからこそトップでいられる訳です。

 

でも競走馬がもし、競馬場のコースを逸脱せずにきちんと周回してゴールを目指して真面目に走ってくれる生き物であるならば騎手なんていらない訳です。

ゴールまでスタミナが持つようにペース配分を考えて走ってくれるのなら騎手という重りは邪魔でしかないんです。

 

騎手の存在意義はまさにここにあります!

 

馬にしてみれば別にゴールなんか目指さずに好き勝手に走りたいんだと思いますが…

 

日々の調教を通じて「人間側の意図」を何となく理解したり、言う事聞かないとムチで叩かれたり、言う事聞いたら可愛がってもらって美味しいエサがもらえたり…

を繰り返すうちにレースに勝つという人間側の意図を何となくくみ取れるようになり、競走馬という役割を演じられるようになっていくんだと思います。

 

これって… 人間にも何となく当てはまることだな~って思います。

 

馬が「体」、騎手が「頭」に相当する感じですかね?

 

人と馬で違うところと言えば…

 

馬の場合、騎手の目的(レースに勝利する)に応えるべく、日々の調教などを通じて競走馬という役割を理解し演じられるようになっていくのに対して、

人の場合、頭(騎手)の目的(夢や目標、社会や他者からどう見られるか、どう評価されるか…)を叶えるべく、頭(騎手)の方が先に「期待にそえる何者」かになろうとして、ある役割を演じる事を始めるようになっていくのではないでしょうか?

 

その「何者」かになるための過酷?なレース(人生)を走り切るためには、当然ですが 体(馬)が必要です。

そして有難いことに、体(馬)は別段調教などをせずとも、頭(騎手)の意志に従おうとしてくれる大変賢い存在でもあります。

 

ただ問題なのは… そもそも何のためのレース(人生)に出走していたのか?という部分かもしれません。

 

これを忘れてしまって、おかしな頑張りをしている方が多いのではないでしょうか?

 

競走馬の場合、レースに勝利して賞金や名声を得ることが目標だったりしますが、これは騎手や調教師、そして馬主の目標であり、決して競走馬が生まれてきたときに望んだ目標ではありません(もしかしたらアフリカのシマウマじゃなく、あえて競走馬を選んで生まれてきた馬かもしれませんが…(;^_^A)

 

人間の場合、レース(人生)のゴール(目的)は人それぞれです。

お金持ちになりたい!

素敵な人と出会いたい!

成功したい!

健康になりたい!

・・・

 

目指したいゴールは様々なんですが… 人間の場合、本当に目指すべきゴールというモノがあるのならば… 実は体(馬)の方がそれについて良く分かっていたりするのが真実なのではないでしょうか?

 

本当はそんなにゴールのバリエーションがあるわけではなく、誰もがたった一つのゴールにたどり着くために何度も何度もレース(人生)に出走しているのではないでしょうか?

 

なのに… 頭(騎手)の方が暴走してしまって、おかしなゴールを設定してしまい、従順で有能な 体(馬)はそれに従って頑張ってくれているのではないでしょうか?

 

みんなこういった 頭(騎手)と、体(馬)の、機能不全がレース(人生)の中で起きている感じがします。(もちろん私も含めて…)

 

実際の競馬のレースでは、最後のラストスパートまでは、騎手は無駄な事は極力避けて、馬が機嫌を損ねないように、馬の負担にならないように、じっとしながらゴールへむけてのより良いポジションに位置できるように最低限の指示しかだしません。

 

そして最後のラストスパートでは、疲れの見える馬を叱咤激励しながら人馬一体となって走り切れた馬と騎手だけが勝利をつかみ取れます。

 

人生と言うレースも同じような気がします。私たちが普段一番心掛けないといけない事は 体(馬)の邪魔をしない! ということかもしれません。

 

そして知らず知らずに勝手に設定したゴールに 体(馬)を誘導しようとする 頭(騎手)に気づいていることが大切だと感じています。

 

その 頭(騎手)の暴走を起こしているのが、あなたの「想念」です。

 

「想念」に気づき、「想念」への執着から自由になり、本当のゴール、本来のレースの目的さえ思い出せば、 頭(騎手)は本来の有能さを取り戻し、適切な指示を 体(馬)に伝えられるようになり、人馬一体となって力強くゴールへと向かえるようになります!

 

頭(騎手)が 慌てて、焦って、心配して、あれやこれやと頑張りだして…

オーバーアクションでジタバタしたり、八方ふさがりになったと感じて何も出来なくなった時ほど…

 

「いかに体(馬)に負担をかけずに、体(馬)の邪魔をせずに気持ちよく走らせてあげれるか?」を思い出してみて下さい。

 

そのために 頭(騎手)は、何をする必要があり、何をしないでいる必要があるのか?

 

私も忘れないようにしたいと思います。

 

 

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やっとホントに許せるかな…?

一昨日、車を運転してたらふと自分の中でつぶやく声が聞こえてきました。

 

「・・・納得できんかったから、動けんようになったんよな~・・・」

 

いきなり浮かんできたセリフなんですが、「あぁ~… そうか…」って、すぐに繋がりました。

 

先日の出来事があってから色々と思い出す事、感じる事、繋がる事が起きています。

 

 

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私はセラピストという今の仕事の前に、長い事 競走馬を育成する牧場で働いており、競馬界での晩年?には小さい組織ながらも、この業界で働き始めた頃からの夢でもあった牧場長として腕をふるう機会を与えてもらっていました。

 

場長として勤めたこの牧場、実は立ち上げから密接に関わっていまして、

数年前に閉鎖して使われていなかった お化け屋敷状態 のようなボロヤ?を改装して、オーナーとあれやこれやとアイデアを出し合い、柵を打ち、ペンキを塗り、蜘蛛の巣を振り払い、悪戦苦闘しながらスタートした牧場だったんです。

 

でも今思い出すと、あの頃が一番楽しかったと思えます!

 

「体癖」をご存知の方なら分かると思うんですが、9種体癖である私からすれば我が子のように… いや自分自身と同等以上に愛着がこもった牧場であり職場でありました。

 

だから… 傍からどう見えたかは存じませんが、私は並々ならぬ情熱をもって場長として数少ないスタッフと共に意気込んでいた訳です。

 

基本的に馬主さんや調教師さんに大切な馬を預けてもらう事で事業が成り立つのですが、記念すべき預託馬1号くんが牧場にやってきた時の感動は今でもよく覚えています。

 

オーナーや私、そして少ないスタッフの希望に満ちた思いが届いたかのように、

開業半年後には牧場の馬房(馬小屋)が預託馬でいっぱいになるまでになりました。

 

ところが… こちらの予想や計画を上回る状況に大喜び出来たのはつかの間でした。スタッフが足りずに忙しすぎて自分が理想とするような仕事が全く出来ない… というストレスに捕まり始めたんです… 私が…。

 

競馬界も人材難ですぐにどうこう出来る問題ではなく、何とか出来る範囲でやりくりしていましたが私のストレスは募る一方です。

 

これまた「体癖」をご存知な方なら分かる話なんですが…

9種体癖って自分が愛情や情熱を注ぐことに対しては半端ない傾向があり、完璧主義者な訳です。恐らく当時の私は9種体癖エンジン全開で突き進んでいたんだと思います。

 

「私は、こんな(レベルの)仕事がしたくてこの牧場を始めた訳じゃないんです!」

 

みたいな感じでオーナーに食って掛かる始末で…(ちなみにオーナーとは年も近く以前から知ってた事もあり、こういう感じでモノを言い合える関係ではありました)

 

見方を変えれば大変に喜ばしい状況でもありましたが、9種体癖エンジン全開状態の当時の私にはとてもそうは思えずに

 

「こんな仕事しか出来ないんだったら… 馬なんか入ってこない方がましだ!」

 

って本気で思ってました。本気で… 毎日… そう思ってイライラしながら働いていたんです。すると… 願いが届いてしまったんですね…(なんせ本気でしたから…(;^_^A)

 

開業1年が過ぎ、新卒のスタッフやパートさん達でようやく理想とする仕事を進めていけそうな体制が整い始めるのと反比例して、どんどん預託馬が少なくなっていきました…。

 

季節的な変動が確かにある業界でもあるので、一時的なものかな?… と様子を見ていましたが、一向に状況が変わる気配がなく、じわじわと右肩下がりになっていき…

さすがに焦りだして色々と思いつく手は頑張ってみるのですが、なかなか流れを変えられないんです。

 

そうなると私の思考がギャーギャーと騒ぎだし、原因や犯人を捜し始めるんです。当時は既に不思議なご縁もあり精神世界や心の問題に関心を持ち始めていたので、自分の思いが引き寄せた結果なのか?…という視点はあるにはありました。

 

でもやはり外に求めてしまうんです。

私が原因と犯人にしたのはオーナーでした。

 

オーナーは個人的にはユーモアがあり独特のユルさが好きでもありましたが、開業当初から牧場の方針というか、事業を展開していく上でのコンセプトの部分には個人的に価値観の違いを感じていました。

 

でもそれで1年目は結果が出ていた訳で、私もあまり深刻に考えずにいられたんですが、物事が上手く進まなくなってきたとたんに眠っていた獅子が私の中で暴れ出すんです。

 

最初はそれでも我慢して自分の胸の内に収めようと努力していましたが、状況が改善しない状況が続けば続くほど黙っていられなくなり、色々と意見をぶつけるようになりました。牧場を辞める決心をする前頃に至っては

「あなたのせいでこうなったんじゃないですか!(# ゚Д゚)」

的なことまで面と向かって吐き出す始末で…

 

ちなみに冷静になれば当たり前な事なのですが…

この牧場… 当然ながら、彼(オーナー)の牧場なんです…

銀行に数千万もの融資を受けて、返済などのプレッシャーを誰よりも感じているのは彼(オーナー)なんです…

私を始めとしてスタッフの給料を払っているのは彼(オーナー)であり…

会社としての経営の本質を担い責任を担っているのは彼(オーナー)なんです…

 

こんな当たり前の事は一応分かっているつもりだったんでしょうが、9種体癖エンジン全開状態の当時の私にしてみれば、立ち上げから関わり、壁のペンキの色から細かい備品の購入に至るまで並々ならぬ愛着を注いだこの牧場は「私の牧場」そのものでした。完全に自分と同化していました。

 

幸いオーナーの本業での業績のおかげと、右肩下がりにはなったけれども何故だか最低限のライン以下には落ち切らない神風のおかげで倒産にまでは至りませんでしたが、

牧場の低い売上・業績 イコール 私の業績・評価と感じるのは当然で、毎月毎月ストレスと悩みは増えていく一方でした。

 

若いころは馬に乗って調教をして、馬の世話や牧場の作業をしていればそれで良かっただけですが、場長と言う立場になると当然営業的な仕事が増えるんです。

もともと営業向きの性格ではないのは自覚していましたが、業績も下降していく中、焦りとプレッシャーに負けないように平然を装い、馬を預けてもらうために営業に回る日々でしたが、

 

オーナーのコンセプトに違和感を感じながらも、それを伝える事で顧客を獲得しようとする営業は私にとってはかなりのストレスで、当然ながら気持ちも乗らず、相手に訴える力も持たず、成果もあげられず…

 

どんどん苦手意識に捕まり、営業恐怖症になっていきました。

 

私の事を良く知っている方ならご存知かと思いますが、私は好きなことをしゃべらせたら止まらないタイプの人間です。営業は得意じゃないしセンスもないかもしれませんが、本当に情熱を注ぎたいことへの探求心や努力は惜しまない人間です。今なら分かるんですが自分が本当に良いと思える事については、いくらでもしゃべれるし人に伝えたい情熱はあるんです(それが業績につながるかどうかは分かりませんが)

 

つまり私は9種体癖です! と言ってるようなもんです…(;^_^A

そして「こだわりはじめる」と全く融通が利かなくなり、納得しないと全く動けなくなるのも9種体癖なんです。

 

だから牧場の現状(=自分の評価や価値)をなんとか立て直したいという思いと、最初から違和感を感じていたオーナーのコンセプトへの不満やこだわりが摩擦を起こしぶつかり合い、自分が二つに裂かれたような状態で苦しんでいました。ブレーキを踏みながらアクセルを踏み続けていたようなものでした。

 

最終的に牧場を辞める決断をしたんですが、

これ以上牧場の業績が下がる事に耐えられませんでした。私そのものだと感じていた牧場がこのままダメになることは、自分自身がダメになる事そのものでした。8種体癖の私がこれ以上負け続けるのに耐えられなかったのかもしれません。

 

そして自分のこだわりに執着してしまい、オーナーと意見がぶつかり始めた私がこれ以上成果の上げられない場長として現場を仕切るのは良くないと判断しました。本当は私の力で立て直したかったですが残念ながら私では無理だと感じたんです。誰よりも愛着を持っている牧場ではありましたが、それを自分の力で助けられない事への絶望感で我を忘れてしまう状態でした。

 

こんな状態の私なのに、オーナーは引き留めてくれました。最後には不平不満をぶちまけてしまう状態なのに「場長が辛いんだったら、場長は降りてもいいから残ってくれ」とまで言ってくれましたが、それこそ当時の私には無理な相談でした。

 

本当はそんな状況で一番しんどいのはオーナー自身であることは今なら十分理解できるのですが、当時の私にはそんな余裕は残っていませんでした。

 

でも心の奥底では分かっていたんです。だけど愛着を持ちすぎた自分の分身とも言える牧場の役に立てない自分を許せない9種体癖と、これ以上負け続けられない(耐えられない)8種体癖に無意識に捕まってしまい、オーナーや状況の責任にして逃げる事しか出来ませんでした。

 

逃げたって、誰よりもそれを許せない自分がいるのは分かっていたはずなのに…

 

だからこそ…辞めた後も地獄でした。私が自分自身に対する誰よりも厳しい裁判官になってしまい、誰よりも自分を許さずに責め続けました。自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

でも当時の私にはこういう選択や行動しか出来ませんでした。別に体癖のせいにしたい訳ではありませんが…、体癖を知れば知るほど…、今現在の私のもとに訪れるクライアントさんに起こっている苦しみがいかに体癖と関係しているかを知れば知るほど…

 

当時の私は自分と言うものを全く分かっておらず、無自覚にロボットのように反応しては自らを苦しめていた事に気づきます。それぐらいこの先天的に持っているプログラム(体癖)の力は強力なんです。

そして人は、無自覚にやってしまっている事で苦しむんだと思います(自分のせいだと自分を責めて…)。

 

だから冒頭に書いた

「・・・納得できんかったから、動けんようになったんよな~・・・」

というつぶやき声が頭の中に聞こえた時に全てが繋がりました。

 

私が当時オーナーとの間に感じていた価値観の違いは、9種体癖のこだわりによって増幅され逆らえないぐらい巨大になってしまっていた事に気づきました。利害損得や生活の保障を犠牲にしても構わないと思えたぐらいこだわる時や事があるのが「私」という存在が持っている特性だと痛感しました。

 

誰よりも愛着を注いだものに誰よりも貢献したいのに…、誰よりも自分の価値観にこだわる事でそれさえも壊してしまう… そしてそんな自分が許せず納得が出来ず誰よりも厳しくジャッジしてしまう…

 

これでは営業だろうが何だろうが思うように動けなくなり、人生の先が見えなくなるのも当然です。

 

でも運転中に聞こえた声に、私は力が抜けていく感覚を覚えました。

それが良いとか悪いとかを抜きにして、当時の私は自覚が全くなくそれをやってしまっていた訳です。それは既に起きた事であり責めても仕方がないんだ!とようやく思えた気がしました。

 

自分がやっていた訳ではなかったんだ… と思えたんです。体癖に抗えず、それによって生まれた想念で自分を責め続けていたんだ… と気づけたんです(体癖を理解していないと分かりにくい表現かもしれませんが)

 

そして… もう自分を許してあげよう… と思えました。

 

最近では牧場時代の事を思い出す事もなく、長い事そんな責めてる自覚は持っていないつもりでしたが、水面下ではずっと続いていたのかもしれません。

 

もう許してあげよう… そう思うと力が抜けていきました。

 

私はこれまでもベストの選択をしたんだ…思ってはいましたが、ホントの意味でそう思えた気がします。

競馬界に別れを告げたおかげで今、一生をかけてでも探求していきたい事を仕事にできています。苦しかったですけど今、競馬界に居た時よりも出会って良かったと思える思想や素晴らしい人たちに出会えました。

 

亡くなった母には最後まで心配をかけっぱなしでしたし、実家で一人でいる父にもいつも助けてもらっていますが、おかげで自分は凄く愛されていて良くしてもらっている事が分かりました。

 

妻のご両親にも多大なご心配をかけていますが、いつも凄く気を使っていただいてる事に感謝の言葉もありません。

 

子供たちが大きくなって話が分かるようになったら、自分が学んだ事を伝えたいとも思っています(興味があればですけどね…)

 

そして牧場を辞めた事で一番負担をかけたのは他ならぬ妻ですが…、本当に苦労はさせていますがそのかわりに以前よりもいっそう夫婦として分かりあえたと感じています。あのまま競馬界で働き続けていたら今の関係はなかったと確信できます。私がこの10年ぐらいでどれだけ人間が変わったかを一番分かっているのは妻ですし妻のおかげでもありますから。

 

そして… 牧場の方も私の後任のF君が頑張ってくれたようで、辞めてから2回ほど会って話を聞く限りでは今も無事に営業中です(多大な苦労や迷惑はかけてしまいましたが…)

 

もし当時、牧場が順風満帆でいられたら…どうなっていたんでしょう?

その自分は今の自分と比べて好きかどうか…?

その人生は今の人生と比べて好きかどうか…?

 

私の中での答えは言うまでもないくらいはっきりしています!

私は自分にとっても牧場にとっても家族にとっても… ベストな選択ができた人なんです!

起きてしまった現実に対して、こう思えるようになることがどれだけ素晴らしいかが良く分かりました!

 

うすうす感じてはいましたが、辞めるしかなかったのではなく、辞めたかった事にも気づきました。現に今競馬の「け」の字も私の生活にはありませんし全く気にもしていません(これもまた9種的特徴ではありますが…(;^_^A)

 

当時苦しんだのが体癖のせいかどうかは分かりませんが、今振り返ると… 

 

体癖のおかげで、こんなに沢山の経験と気づきを得られたのかな… とも思えます。

 

もうダメだ…という時こそ、ダメじゃない自分に気づけるチャンスなのかもしれませんし、自分が嫌になり責めた時期があるからこそ、自分を受け入れ自分自身と一緒にいる事の大切さが増幅するのかもしれません。

 

これからもまだまだ自分を責める時はあるかもしれませんが、それすらも許してみようと思い始めています。責める自分も責められる自分も…すべては私の中で起こっている有難い人生だと思って。

 

 

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