何を信じていますか?
~ 信じる ~
この言葉に皆さんはどういうイメージ、印象を持たれていますか?
多くの方はポジティブなイメージを持たれているのでは?…と思います。
私もそうでした…
信じるという思いや、信じるという行為、信じるという言葉は、
私たちの人生を左右する非常に強力な力を持っている事は間違いないと思います。
自分を信じる!、誰か(何か)を信じる!
自分の行い(行動)を信じる!、誰かの行い(行動)を信じる!
自分の気持ち(感情)を信じる!、 誰かの気持ち(感情)を信じる!
こう言うとなんだか「信じる」って言葉は凄く素敵な響きに聞こえます。
でも、本当に信じているのは…
自分や誰か(何か)の事なのでしょうか?
自分の行い(行動)や誰かの行い(行動)の事なのでしょうか?
自分の気持ち(感情)や誰かの気持ち(感情)の事なのでしょうか?
私達が普段何気に「信じる」という言葉を使うとき…
その「信じようとしている対象」とはいったい何なのでしょうか?
皆さんは考えた事がありますか?
本当は自分や誰か(そのもの)を信じているのではなくて…、
自分や誰かについての「自分の考え」を信じているだけではないでしょうか?
本当は自分の行いや誰かの行い(そのもの)を信じているのではなくて…、
自分の行いや誰かの行いについての「自分の考え」を信じているだけではないでしょうか?
本当は自分の感情や誰かの感情(そのもの)を信じているのではなくて…、
自分の感情や誰かの感情についての「自分の考え」を信じているだけではないでしょうか?
つまり私たちが本当に信じているのは…
人や物でもなければ、誰かの行いでもなければ、誰かの感情でもなく、
それらについての「自分の考え」をこそ信じていると言えないでしょうか?
逆説的に言うならば… 私たちが本当に信じられないでいるのは…
人や物でもなければ、誰かの行いでもなければ、誰かの感情でもなく、
それらについての「自分の考え」をこそ信じられないでいると言えないでしょうか?
当たり前といえば、当たり前すぎることを言っているように思えますが、この事実にちゃんと気づくことは意識の大きな変化をもたらすきっかけになるかもしれません!
実は私たち人間は、これまでの人生を通じて…
誰一人として信じたことはなく…(信じなかったこともなく…)
どんな行為や活動も信じたことはなく…(信じなかったこともなく…)
どんな気持ちや感情も信じたことはなく…(信じなかったこともなく…)
ただただ… どこまでいっても…
「自分の考え」だけを信じることしか出来ずに
「自分の考え」だけを信じないことしか出来ない
というのが 人間 なのかもしれません・・・
信じるという「強大な力」をあなたは何(どんな考え)に向けていますか?
自分に優しい使い方をしていますか?
自分に厳しい使い方をしていませんか?
人生を前に進むのに使っていますか?
人生を後ろに進むのに使っていますか?
多くの方はその両方を同時に使っていたりします。
つまりブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなものです!
こんな状態で何年も生きていくと、心や体に問題が生じてきます。
でも別にアクセルが良くて、ブレーキは邪魔だ… なんてことを言いたい訳ではありません。
アクセルの踏みすぎはやがてブレーキよりも問題になるかもしれませんし、
ブレーキを踏みすぎて動けなくなったことでこそ気づける事もたくさんあります。
むしろアクセルもブレーキも踏まなかったとしたら…
人間は何もしなくなり… 何もできなくなる… のでしょうか?
信じるという強力な力を、無駄に使用しなかったら…
その強大な力を他の何かに有効に使えたりしないものでしょうか?
「自分の考え」を信じるとか信じないとかに、その強力な力を注ぐのをやめたら
「あるがままの現実(真実)」に目を向けて、
「あるがままの現実(真実)」こそを信じられるようになれば、
人間って本当は 凄い存在なんじゃなかろうか…?
そんなご提案と、お手伝いが出来ればな~ といつも思っております。
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gorono-omoikomi.hatenablog.com
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