ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

新興宗教…「川島を変えろ教団」

私は今、強烈な「想念や思い込み」と闘っています。

 

今回はかなりの強敵でいまだに悪戦苦闘中ですが、恐らくはこの敵と戦っている人々が今、日本中に沢山いるのではないか?・・・と確信しています!

 

私が闘っている敵(想念や思い込み)とは・・・

 

西野監督は川島(GK)を変えるべきだ!」という思いです…(;^_^A

 

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ちなみに私はサッカー観戦歴は長いですが、プレーさせると下手くそ極まりない、いわば「言うだけ番長、口だけ番長」です…(苦笑)

 

なのに偉そうに日本代表がどうあるべきか!について考えを巡らせてはエネルギーを消耗しています。私がそれをいくら考えても なにも社会に役立つものを生み出さないのに…

 

それでも私には、今日本中を覆っているであろう強烈な想念のエネルギーを感じています。

 

「次の試合こそゴールキーパー変えた方がいいんじゃないの!?」と言う、集合意識的な想念の巨大な渦を・・・(もしかしたら世界中がそう感じているかも…とすら感じています…)

 

そして… この考えを信じている時の私は、自分自身と離別しています。

 

今の自分自身が何をすべきでどうすべきか?よりも、海の向こうのロシアにいる、全くお会いしたこともないし全く関係もない西野監督が、「これからどうすべきで、どうすべきじゃないのか?」について、自分の貴重なエネルギーと時間を無駄に消費しています(それは私の仕事じゃないのに…)

 

つまり自分自身を生きることを忘れて、まるで西野監督の人生(物語)を生きようとしている訳です。まるで白昼夢に浸っている訳です。

 

ちなみに私がこの「次こそ川島を変えるべき!教団」に入信したのは、先日の第1戦のコロンビア戦を見てからです。個人的にはあり得ない(と私が信じている)ミスから相手フリーキックによる得点を許してしまってからです。(それ以前のテストマッチでもヘマをやらかしていたようですが…)

 

試合後に良くスポーツニュースをネットで見るのが私の癖なんですが、自分と同じ意見の方が沢山いることに同調して、「やっぱりみんな、そう思うよな~!」的な妙な連帯感に包まれて、

 

まるで急速に拡大を続ける新興宗教組織の幹部にでもなったかのように、「頼むから川島を変えろって!」「西野監督お願いだから!」という有難いマントラを熱心に信じて唱える信者のような存在になっておりました…(;^_^A

 

そして迎えた昨晩の試合前、スタメンの発表をみて・・・

 

「おいおい西野監督・・・ なんでやねん!!!(# ゚Д゚) 」って怒りと落胆の入り混じった嫌~な気分に自分自身をさせていました。

 

すると開始11分に私(私たち信者)の期待?に見事に川島選手が答えてくれる訳です… 今回も個人的にはあり得ないと思えるミスで…(苦笑)

 

まさに自分が信じた通りの結果を受け取る事になってしまいました。

 

一夜明けた今でも… わかっちゃいるけどやめられずに、頭の中での川島批判、西野批判が騒いでおりますが、これってかなりの信者がいるはずの「想念や思い込み」なのではないでしょうか?(サッカーに興味のない方には全く関係ない話ですが…)

 

まさにワールドカップ期間中と言う特殊な状況の中、ここ数日で急速に拡大して力を得た「強烈な想念のエネルギー」にサッカー好きのみんなが憑依されてしまい、それぞれが本当にやるべきこと、自分のエネルギーの注ぎどころすら忘れてしまい、西野監督や川島選手という他人の領域に首を突っ込んでは「あれやこれや」とジャッジをしたくなります。

 

日本代表のGKを誰が務めるかどうか? について考えて決断を下さないといけないのは日本代表監督である西野さんであり、

 

私が無数に持っている「想念や思い込み」の集団の中から自分自身が幸せであるために、どの「想念や思い込み」を代表として採用するか? について気づいて選択を下さないといけないのは私と言う存在の監督である私自身であります。

 

「頼むから川島を変えろって!」「西野監督、お願いだから!」って考えを採用する(考え続ける)ことで、私自身がハッピーで幸せな気分でいられるのなら別に構わないのですが、

 

その考えを採用することで、イライラしてヤキモキして、ましてや自分が不安視していた事が再度現実になったりしたら…「ほら見た事か!!!」って感じで火に油を注ぐようなストレス状態で悶々としているならば…

 

その責任の所在はいったい誰にあるのか? 

自分は今、誰の領域に首を突っ込んでいるのか?

それは本当に自分がする必要がある事なのか?

今、誰が誰に何をした方がよいのだろうか?

などなどに気づかないといけないタイミングな訳です。

 

私や多くの日本国民が何を考え何を言おうが、それがいかに正しい考えで、もっともな意見だと主張しようが、「次の試合を川島でいくか?、いかないか?」を決める責任と権限を持っているのは西野監督しかいないのです

(残念ですがこれが現実であり真実です…(;^_^A)

 

なのに人間(私)ってやつは… こういう事をいつまで経ってもやめられません。もし次の試合でGKが変わっていたりしたら「ほ~ら、俺が言ってた通りになった!」などと、さも自分の意見が西野監督を突き動かしたかの如く思ったりするもんです…(苦笑)

 

だからこそ、私たちが決して忘れちゃいけないのは…

 

サッカーの日本代表監督は西野さんであり、

 

私の想念や思い込み達の代表監督は私自身である、という事だと思います。

 

人はみんな好き勝手に、言いたいことを言い、思いたいことを思うのは当然なのですが、その結果として自分をストレスフルな状態に追いやっている責任の所在は、自分自身にしかない!のです。

 

しかもそもそもコントロール不可能な他人の領域を操作しようと無駄に骨折ってまでストレスを感じようとしています… いったい何をやっているんだか…(;^_^A

 

だからもう 西野監督になろうとするのは程々にして、私は私の仕事(自分自身になる)に戻ろうかと思います…(;^_^A

 

でも好きな対象であればあるほど、正気に戻るって難しいのも事実ですね~。私にとってはワールドカップの観戦はそれに当たります。

 

願わくば西野監督が「捻れ体癖」でない事を祈っております!

 

今現在、ネットやニュースを見ると私と同じ「川島を変えろ教団」の熱心な信者であろう方々(国内外問わず)が、それぞれが信じるマントラを唱えて西野監督を操ろうとしているようです。

 

でももし…西野監督が「捻れ体癖」で、ましてや権力に抵抗しやすく弱者に共感しやすい8種だったりしたら… マントラを唱えれば唱えるほど西野監督は「いやっ! 次もやっぱり川島で…」って事になりかねませんから、

 

なにとぞ… 第3戦の日本の勝利のためにも西野監督の領域に踏み込むのは程々にして貰いたいもんです…

 

な~んて考えてる私もまだまだ、はるばるロシアにいる西野監督の人生(選択)にお邪魔することをやめられないようです…(;^_^A

 

人間ってのは… 本当に困ったもんです!

 

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私的「この世の真実」 ~私は世界…世界は私… の意味②~

実は私たち人間は、決して「あるがままの世界」や「あるがままの相手」を見る事は出来ない!・・・

 

それには2つの理由があり、その1つは前回お話しました。

 

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つまりは私たちが普段見ている世界の実態とは…、五感を通じてキャッチされた様々な情報と記憶を自分の脳内で再構成して、自分の内側にある「超々体感型立体スクリーン」のようなもので体感・実感している内部表現の事である…、というお話をしたのですが、

 

私たちはこういった内部表現に対して更に「自分の考え」つまり「想念や思い込み」といった思考を被せて世界を認識しています。

 

これが私たちが「あるがままの世界」や「あるがままの相手」を見る事が出来ないもう一つの理由です。

 

厳密には自分ひとりしか存在していない自分の内側の内部表現(世界)の中で、誰かや何か、出来事や世界全体に対して、自分が信じている「想念や思い込み」というフィルターを被せて世の中を認識している訳です。

 

「想念や思い込み」というフィルターとは別な言い方をすれば、誰かや何かに対して判断や認識や意味づけをするための基準のようなものであり、人それぞれの感受性の中心でもあります。

 

まさに各々が様々な人物や物事を、様々な「色眼鏡」を使ってみている事になります。

 

そのメカニズムたるはまさに今はやりの「バーチャルリアリティー」の世界の住人になっているような気もします。

 

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私のイメージでは「肉体と言う超高性能なゴーグル」的なモノを装着して世界を認識し体感している感じですが…

 

そしてこの内部表現の中で出会う人や、遭遇する出来事に対して

 

「やっぱり… あの人は冷たい人だな~」とか

「また… こんな出来事が起きたのは、つまり自分が無能という意味なんだ…」とか

「あの人はもっと私の事を理解して受け入れなければならない!」とか

「こんな出来事は私の人生に起こるべきじゃなかったんだ!」とか

 

各々が自分の感受性の傾向に従って、好き勝手に解釈や認識し、そして意味付けをした事を信じてしまいます。

 

本当はその人がどんな性格でどんな考えを持った人なのか? なんて事は本人にしか知りようがないのに…(本人も分かってない事も多いですが…)

本当はその出来事が自分の人生にとってどういう意味や価値があるのか? なんて事は神様?みたいな存在にしか知りようがないのに…(実は他の選択肢もあるのに…)

 

思考は好き勝手に受止め、認識して、解釈して、作り上げた想念や思い込みによって意味付けされた物語(妄想)を信じて生きていく羽目になります。

 

厳密には自分一人しか存在しない内部表現という世界の中で、誰かに出会い、何かに遭遇していると錯覚してしまい…

 

厳密には誰かについての「自分の考え」に出会い、何かについての「自分の考え」と遭遇しているだけなのに、さも誰かや何かの方にこそ問題の原因があるように錯覚してしまい…

 

つまり…

 

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上記の記事みたいな事が人間関係のみならず、人生の全てにおいて起きているのが真実なのではないでしょうか?

 

だからこそ・・・

 

あなたは生まれてからこれまで、リアルには誰1人とも出会っていないし…

 

あなたは生まれてからこれまで、どんなに受け入れがたい出来事があったにしても、あなたの内部表現の中には全ての出来事が既に完璧に受け入れ済みでしたし…

 

誰かに出会い何かに遭遇した事は実は一度もなく、内部表現における誰かや何かについての「あなたの考え」にしか出会った事はなく、遭遇したこともないし…

 

誰かや何かが あなたの問題となった事は実は一度もなく、内部表現における誰かや何かについての「あなたの考え」しか あなたの問題となったことはない! と言うのが真実なんです。

 

凄く分かりにくい話かもしれませんが、私たち人間とは

 

自分自身の内部表現の中で、自分の考え(想念や思い込み)としか出会っていないとも言える訳です!

 

つまりは「あるがままの世界」や「あるがままの相手」を見るどころの話ではなく…

まるで白昼夢を見て過ごし、白昼夢の中で死んでいく…(肉体の死ですが…)

ような事でもあり、

 

だからこそ私たちは正気に戻る必要があるのではないでしょうか?

 

人はなぜ生まれてきて、なぜ生きていて、なぜ死んでいくのか…

 

私もいつからかこんな事を考える歳にもなりましたが、ここにこそ答えがあるような気がして探求している真っ最中です。

 

こんなお話をいつか沢山の方たちと出来たら… と私の内部表現の中で私は妄想している真っ最中です…(;^_^A

 

 

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私は世界…世界は私… の意味①

私は世界… 世界は私…

 

精神世界系の本などを読むと時々こういうフレーズが出てきます。

 

何となく心惹かれる、なんだか物凄い言葉のように思えていましたが、最初は一体何のことを言っているのか良く分かりませんでした。

 

こういった言葉には、人それぞれで色んな解釈があるかと思います。

私はフワフワとした何とな~くな説明をあまり受け付けない性質(体癖?)なんですが…、今日は私なりの考え(思い込み)を書いてみます。

 

まず私達人間とは、2つの意味で「あるがままの世界」というものを見る事が出来ない存在なのです。

 

1つ目の意味とは・・・実は今見ている世界や他者といった外部の映像は私達の脳内に映し出された内部表現だという事実です。

 

例えばバナナを見たとしたら…、五感を通じてキャッチされた色や形、大きさ、匂い、触感といった情報をもとに記憶との照らし合わせなども行われ、バラバラだった情報が脳内で再構築されて…

 

「この物体はバナナである!」と決定・確定されるようなイメージです。

 

五感からの情報や記憶をもとに脳内で表現されたバナナや、他者や、世界と言うものを私たちは認識している訳です。だから五感の性能が人間とは全く違う動物や昆虫などが見ている世界は、私達人間が見ている世界とは驚くほど違うものなはずです。

 

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私は実はこの脳内での内部表現という説明も全面的に信じている訳ではありません。

 

自分の中での内部表現なのは確かでしょうが、どうやって脳内においてこの「超々体感型立体スクリーン」みたいな世界が構築されて、それを体感(脳感?)出来ているかがまだ説明がつかないと思うからです。実際に脳内のどこかにそんなバーチャルリアリティーを感じられる仕組みがはっきりと医学や科学によって発見された訳ではないですからね…(;^_^A

 

私なりの仮説はあるのですが…そこは置いておいて…

 

まぁでもこの事実は、私達が見ている世界は実は私たち内部で再構築された仮想空間のようなものでもあり、あの人もその人も実は私たちの中の「超々体感型立体スクリーン」の上に映し出されたもので、実物そのものではないという事になりますから…

 

世界も他者も、実は自分自身を見ている…

正確には自分の内部にあるスクリーン的なものを見ている…

とも言える訳です。

 

という事は… この私たちが見ている世界が、実は自分自身の内部表現であるならば…

 

仮にあなたに大嫌いな誰かさんがいたとして、その人に直接「バ~カ!」と言おうが、心の中だけで「バ~カ!」と言おうが、実はそれは自分自身が自分自身に発した「バ~カ!」であり、その内部表現の中にいるのは実は自分ひとりだけなので、放った言葉が一番ブーメランとして帰ってきているのは自分だったりします…(;^_^A

 

正しい言葉を使いなさい!… なんてのも精神世界系の本に良く出てくるフレーズですが、ある意味真実だったんですね~。

 

直接言葉にしようが、心に押しとどめたつもりだろうが、自分が放った言葉とは他ならぬ自分自身が一番耳にしている人であり、一番その言葉の影響を受けている訳です。

 

「だからなんなんだよ! バカ!って言いたいから言ってるだけだし、自分は全然平気だから大丈夫だよっ!」って言いたくなる気持ちがもしかしたらあるかもしれませんが(私にはありました…(;^_^A)

 

自分(頭)は平気でも、体の方はそうでもないかもしれませんよ!

 

もしあなたが実際にでも心の中だけでも、いつも悪態ばかりついている人だとしたら…

 

あなたという巨大企業の本社(つまりあなたの肉体)で働いている60~70兆にもおよぶ従業員たち(細胞君たち)は、いつもあなたが発する悪態の数々を社内放送のように聞きながら、消化に励んだり、排せつに頑張ったり、外敵と戦ったり、組織の修復をしたりしているんです。

 

想像してみて下さい…

いつも汚い悪口や文句ばかりが社内放送でひっきりなしに流れている会社であなたは働きたいと思いますか?、仕事の能率が上がると思いますか?

 

あなたはそれを相手に向かって直接、もしくは心の中で言っただけのつもりでしょうが、実際にその汚い言葉の数々を誰よりも聞いているのは、他ならぬあなたのために日夜働いている従業員たち(細胞君たち)な訳ですから、お気の毒というしかありません。

 

しかも仮に直接相手に向かってそれを言えたとしても、それを相手がどう受け止めているかなんて分かったもんじゃありません。あなたが意図したように相手が受け止めるかどうかはあなたには決定権はないのです。

 

確かに向こうもダメージを食らっているかもしれませんが、あなたも確実にダメージを食らっています。むしろ頭が思い返すたびに何度も何度もその社内放送を繰り返されるはめにあうあなたの大切な従業員たち(細胞君たち)こそが一番ダメージを食らっている言えるでしょう!

 

そんなたとえ話のようなことはありえないと思いますか?

 

私が使っている「NES(ネス)」にかかったら、あなたのそういう頭の暴走で、あなたの臓器や組織がいかに被害にあっているかを、目で見える形でご覧になれますよ!

 

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あまり嬉しくはないかもしれませんが…(;^_^A

 

でも… こんな話を聞いたからと言って… 世界や誰かに対して不満を漏らさなくなれるわけではありません…

 

そのためには私達が「あるがままの世界」を実は見ていない もう一つの意味を理解しなければなりませんが…

 

続きはまた次回に…

 

 

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アウトプットしてこその体癖!

昨日は大阪市今里にて体癖講座を開催させていただきました!

 

場所をお借りした、隠れ家サロン「kokoron」の「中島明美さん」

主催者の、「楽気院」の「北村拓也さん」

 

そしてご参加くださった皆様、

本当にありがとうございました。<m(__)m>

 

今回は初級編(午前)と、上級編(午後)を初めて同日開催という形でやらせていただきましたが、

普段はいつも時間が足らずに主催者さんから「え~っと、もうそろそろ・・・」みたいな形で終了となるところが、さすがに1日中ずっと体癖の事ばっかりしゃべってたら、さすがの私も最後は満腹気味で「ふ~っ!」って感じでした。

 

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ご質問さえ頂ければ何なりと答えて話もいくらでも広げていけるのですが、初めて体癖に触れる方には私の体癖講座はいきなりの情報量の多さもあるので最初は大変だったかもしれません。(この原因も私の体癖が関係してます…苦笑)

 

でもそんな中でも時々鋭いご質問や疑問点などを頂き、話が脱線することもありましたが…皆さん体癖の面白さや深さを感じていただいたようで何よりでした!

 

でも実は一番勉強をさせていただいているのは講師である私だったりします。色んな方に出会う事で私の体癖観察眼はどんどん鍛えられていますし…

学んで来た事をアウトプットする場があるからこそ、より深く学んで、それを伝えたい気になるし、毎回新たな発見があるので講座の内容もバージョンアップしていますし、上級編もようやく軌道に乗ってきた感じです。

 

だからこそ講座に参加された方には是非とも、体癖の知識を積極的にアウトプットすることをおススメします!

 

普段の自分の何気ない時の言動を、切羽詰まったときや咄嗟の時の言動を、意識的に観察して自分の体癖が発動している事に気づけるようになることは、心や体に意識が向く事でもあり「今ここの自分」として存在していることにもなります。

 

そして身近な家族や、友人知人、職場の方などなど・・・

「この人はいったい何種体癖を持っているから、ああなんだろうか?、こうなんだろうか?」という視点で人間観察を始めると色々と面白いモノが見えてきます。

 

例えば私の体験でいうならば・・・

以前ならただただ嫌でしかなかった あの人のあの言動が、

ただただあきれていた その人のその言動が、

何となく体癖に忠実に繰り返されるプログラムやロボットのように思えてきて、思わず笑ってしまい、まぁあ仕方がないか…、自分も人の事は言えないしな… とさえ思えてきて、

 

人のふり見て(人の体癖見て)、我がふりなおせ!(自分の体癖にも気づこう!)

 

と気づけるようにもなってきました。

 

世間的には素敵に見えるあの人の言動も、立派に見えるあの人の言動も…

体癖が分かってくると、

「なんか凄そうに見えてたけど あの人…、体癖でしかモノを言ってないし、体癖でしか動いてないやん!」と笑えてしまいます。(;^_^A

 

実はこういう視点が自分の中に定着していくことは、意識の視点(次元)が変わったことを意味します。

 

体癖は体癖で認識しつつも(気づきつつも)、

それに乗っかるか?、それとも違う選択をしてみるか?

相手に条件反射的に反応するのか?、それとも相手の体癖を思い出し客観的立場にたつか? などなど・・・

 

単に選択肢が2択や3択になるだけではなく、意識の自由度がガラッと変わるのです。

 

その時あなたは、自分が今まで いかに不自由で囚われた存在だったかにも気づけるかもしれません。

 

肉体のプログラムに突き動かされてロボットのように動いていただけの無自覚なストレス状態からちょっと離れて、自分の行動の意味、自分の感情の意味、自分の思考の意味というものを意識できる存在になるのかもしれません。

 

最初は体癖観察を間違えたってかまいません。どんどん間違えて、悩んで、分からないケースがあればいつでもご質問として体癖講座に持ってきてください!

インプットとアウトプットがあなたの知識と経験、そして観察眼を高めていき、

同時にあなたの意識の次元までもあげていくのです。

 

今後は上級編と合わせて変わった企画も考えていきたいと考えています。

9種の変人エピソードを競う会とか…

いかにして捻れ型をコントロールしたかの成功例を語る会とか…

2種 VS 4種 グルグルとモヤモヤは一体どちらが辛いのか?とか…

 

私や参加者の方のアイデアしだいでいくらでも探求できますし、こんなことを考えてるだけでも笑えてくる私はやはり変人の9種だな~って思います…(;^_^A

 

こうしたバカな企画が成り立つためには、たくさんの人に体癖を知ってもらわないといけないので私も頑張ろうと思います。

 

 

※ 次回の体癖講座は6月27日の水曜日に伊賀市にて、今回と同じく初級編と上級編の2部構成で開催予定です。詳細はまた後日お知らせします!

 

 

※ お伝えし忘れておりましたが、当サロン「リマオラ」でも体癖講座を受けられます。お1人から最大で4名ぐらいまでの少人数制で出張講座よりは料金やリピート割引に変更点がございますが、少人数ならではの詳細な体癖診断や解説、質疑応答が可能ですのでご興味があればご連絡お待ちしております。<m(__)m>

 

 

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誰と誰が結婚していたのか?

多くの人が何について一番悩んでいるか?… と言うと、

 

大体は人間関係の悩みがほとんどだったりします。

 

そうなってしまった背景や原因は様々でしょうが、ほとんどのケースに共通するのは…

 

「あるがままのその人」を見ていない事が原因なんです!

 

正確には… 見ていない!と言うよりも、出会ってすらいない!と言う方が正しいかもしれません。

 

ちょっと説明してみます。

 

例えば恋愛関係や夫婦関係で生じるケースに…

「こんな人だとは思わなかった!」なんて事が多々あるかと思うのですが…

 

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そもそもお互いが「どんな人」として出会い、そして関係を深めていったのか?…にこそ問題があることに気づいていないケースがほとんどです。

 

男だろうが女だろうが…、

「あの人に…こんな風に思われたい自分」というモノをついつい無意識に演じたりして、接近して、関係を深めようとしがちです。

 

その理由としては、相手の関心を引く為だったり、嫌われない為だったり、これまで多くの人間関係で築いてきた見せかけの自分をキープする為だったり・・・

 

つまりは相手から何かを得るために…、偽りの自分を演じてでも相手をコントロールしようとしていた事になります(自分が演じる事によって相手から愛情などの何かを得られる…と信じているのかもしれません…)。

 

でも残念ながらその努力は長くは続かない(持たない)ケースが多くて…、

何故なら付き合いが長くなればなるほど…、結婚でもしたらそれこそ…、

 

「あの人は、もう私(俺)のもの!」みたいに錯覚して油断してしまうからです…(;^_^A

 

中には死ぬまで偽りの自分を演じ続けて具合が悪くなっていく人もいるでしょうが、大抵は途中から本性というか素の自分を隠し通せなくなってきたりするもんです。

 

すると先ほどの「こんな男(女)だとは思わなかった!」が勃発します。

 

そもそも「こんな女だと思われたい私」と「こんな男だと思われたい私」が付き合ったり結婚したりしていた訳で、

 

だから当然ですが相手も「彼女はこんな女性のはず…」とか「彼はこんな男性ではなかったはず…」なんて思い込んでいた訳ですから、

 

いったい本当は誰と誰が付き合っていて…、いったい本当は誰と誰が結婚していたのか?、という大問題が浮上している事にはお互い盲目的になってしまい…

 

だからこそ「こんな男(女)だとは思わなかった!」なんてセリフを被害者のつもりで当然の権利のごとく吐き出せたりする事実にはなかなか気づけません…(;^_^A

 

結局ほとんどの人間関係って、誰とも本当の意味では出会っていなかったりする事が最大の隠された真実だったりします。

 

自分の事でさえ…

「こうあるべき自分」や「こうあるべきじゃない自分」という理想の自分や空想上の自分こそが、本当の自分なんだと信じてしまっていて、

 

その誰が誰の人生を生きているのかさえ分からなくなってしまった人が…、

「彼女はきっとこんな人なはずだ!」とか「彼がこんな人であるわけがない!」なんて考えを信じて、理想の彼(彼女)や、空想上の彼(彼女)こそが自分の本当のパートナーだと信じて、あるがままの相手にフィルターをかぶせて見ていて、接しているのが現状ですから…

 

遅かれ早かれ…不平不満も噴出、続出するのも仕方がありません…

 

結局、誰でもない「自分についてのただの考え」が、

誰でもない「相手についてのただの考え」の事を、

好きになったり、嫌いになったりして、喜んだり、悲しんだりしているのが真実なのではないでしょうか?

 

つまり私たちは、うっかりしてると…

彼や彼女について自分が抱いている「考え」こそが、本当の彼自身や彼女自身だと思い込み錯覚している節があり…、

 

更にたちが悪いことに、彼や彼女について「そう信じている自分」ですら、

「こんな自分こそが本当の私だ!」とか「あんな自分は本当の私じゃない!」という存在すらしていない「私」こそが「本当の私」だと信じている節があるのです…。

 

もう…「私」だらけで頭が混乱してしまいそうですが…(;^_^A

 

だからこそ私たちは「あるがままの相手」を見ている訳でも、そもそも出会っている訳でもなく、実は「相手についての自分の考え」に出会っているだけであり、

 

下手をすると自分自身とも随分と長い間、出会っていない可能性すらあるんです!

 

…「自分探しの旅」とやらに出かけたくなる人がいるのもわかる気がします…

 

こういう視点から考えてみると、私達が普段当たり前のように使っている「人間関係」って言葉は修正が必要な気がしてきます…

 

「人間関係」ではなくて、「自分の考えとの関係」と言った方が適切な気がします。

 

実は「人間関係」で悩んでいるように見えて…

本当は「自分の考えとの関係」のせいで悩んでいるのではないでしょうか?

 

彼や彼女との関係で悩んでいるのではなく、彼や彼女についての「自分の考え」との関係によって苦しくなり悩んでいるのではないでしょうか?

 

だから私はバカの一つ覚えのように…

自分の「想念」や「思い込み」に取り組むって実は凄く大切なんですよ!

って伝えています。

 

あなたが腹を立てたり悲しんだりしている彼や彼女って、本当に存在していますか?

あなたを腹立たせて悲しませている本当の相手(原因)は、彼や彼女についての「あなたの考え」なんじゃないでしょうか?

 

あなたは「自分の考えとの関係」、円満ですか? 上手くいってますか?

 

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そしてこういった、誰が誰との関係で悩んでいるか?を複雑にしてしまう要因…つまり

 

自分自身についつい…どういうフィルター(考え)をかぶせて、相手の気を引き、愛してもらおうとするか?…とか、

相手についつい…どういうフィルター(考え)をかぶせて、自分の思いを受け入れさせようとするか?…という部分には

 

その人が生まれ持っている「体癖」が密接に関係しているんです!

(いきなり宣伝に持ち込みましたが…事実です!)

 

今週末に、そんな「体癖」について深く学べる勉強会を開催します!

 

1部(初級編)と2部(上級編)の丸一日かけての2部構成ですが、1部はすでに満席となりましたが、2部にはまだ空きがございますので、この機会に一緒に楽しく人間に備わっている仕組みを学んでみませんか?

 

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