ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

頭(騎手)と 体(馬)

最近、私の前職である競馬界での出来事を記事に書いてるんですが…

途中で腰椎ヘルニアを発症したりしながらも…、なんやかんやで20年近くの間 馬に乗って、馬の調教も行ってきました。

 

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(約10年前の私…(;^_^A)

 

競走馬なので当然ですがレースで良い成績を上げることが求められる訳です。

 

私が働いていた頃は、武豊などがトップジョッキー(騎手)として君臨していたんですが、ぶっちゃけ言って「人が背中に乗る」という行為自体が馬にとっては邪魔でしかないんです。

 

どんなに凄いスピードやスタミナを備えた名馬でも、人が乗るという事は「速く、バテずに、走る」という視点からすれば邪魔でしかないんです。

 

100の能力がある馬がいたとして、レースでいかにして90や80ぐらいの力を引き出せるかが大切で、

つまり、いかにしてマイナス分を減らしていくかが大切なんです。

名人・達人が乗ったからと言って100が150になることはないのです。

 

だから武豊みたいな名人が乗ったから 速く走れた! なんて事はなく、 

名人と言われる騎手ほど「いかに馬に負担をかけずに、馬の邪魔をせずに気持ちよく走らせてあげれるか?」を考えて実践出来ているからこそトップでいられる訳です。

 

でも競走馬がもし、競馬場のコースを逸脱せずにきちんと周回してゴールを目指して真面目に走ってくれる生き物であるならば騎手なんていらない訳です。

ゴールまでスタミナが持つようにペース配分を考えて走ってくれるのなら騎手という重りは邪魔でしかないんです。

 

騎手の存在意義はまさにここにあります!

 

馬にしてみれば別にゴールなんか目指さずに好き勝手に走りたいんだと思いますが…

 

日々の調教を通じて「人間側の意図」を何となく理解したり、言う事聞かないとムチで叩かれたり、言う事聞いたら可愛がってもらって美味しいエサがもらえたり…

を繰り返すうちにレースに勝つという人間側の意図を何となくくみ取れるようになり、競走馬という役割を演じられるようになっていくんだと思います。

 

これって… 人間にも何となく当てはまることだな~って思います。

 

馬が「体」、騎手が「頭」に相当する感じですかね?

 

人と馬で違うところと言えば…

 

馬の場合、騎手の目的(レースに勝利する)に応えるべく、日々の調教などを通じて競走馬という役割を理解し演じられるようになっていくのに対して、

人の場合、頭(騎手)の目的(夢や目標、社会や他者からどう見られるか、どう評価されるか…)を叶えるべく、頭(騎手)の方が先に「期待にそえる何者」かになろうとして、ある役割を演じる事を始めるようになっていくのではないでしょうか?

 

その「何者」かになるための過酷?なレース(人生)を走り切るためには、当然ですが 体(馬)が必要です。

そして有難いことに、体(馬)は別段調教などをせずとも、頭(騎手)の意志に従おうとしてくれる大変賢い存在でもあります。

 

ただ問題なのは… そもそも何のためのレース(人生)に出走していたのか?という部分かもしれません。

 

これを忘れてしまって、おかしな頑張りをしている方が多いのではないでしょうか?

 

競走馬の場合、レースに勝利して賞金や名声を得ることが目標だったりしますが、これは騎手や調教師、そして馬主の目標であり、決して競走馬が生まれてきたときに望んだ目標ではありません(もしかしたらアフリカのシマウマじゃなく、あえて競走馬を選んで生まれてきた馬かもしれませんが…(;^_^A)

 

人間の場合、レース(人生)のゴール(目的)は人それぞれです。

お金持ちになりたい!

素敵な人と出会いたい!

成功したい!

健康になりたい!

・・・

 

目指したいゴールは様々なんですが… 人間の場合、本当に目指すべきゴールというモノがあるのならば… 実は体(馬)の方がそれについて良く分かっていたりするのが真実なのではないでしょうか?

 

本当はそんなにゴールのバリエーションがあるわけではなく、誰もがたった一つのゴールにたどり着くために何度も何度もレース(人生)に出走しているのではないでしょうか?

 

なのに… 頭(騎手)の方が暴走してしまって、おかしなゴールを設定してしまい、従順で有能な 体(馬)はそれに従って頑張ってくれているのではないでしょうか?

 

みんなこういった 頭(騎手)と、体(馬)の、機能不全がレース(人生)の中で起きている感じがします。(もちろん私も含めて…)

 

実際の競馬のレースでは、最後のラストスパートまでは、騎手は無駄な事は極力避けて、馬が機嫌を損ねないように、馬の負担にならないように、じっとしながらゴールへむけてのより良いポジションに位置できるように最低限の指示しかだしません。

 

そして最後のラストスパートでは、疲れの見える馬を叱咤激励しながら人馬一体となって走り切れた馬と騎手だけが勝利をつかみ取れます。

 

人生と言うレースも同じような気がします。私たちが普段一番心掛けないといけない事は 体(馬)の邪魔をしない! ということかもしれません。

 

そして知らず知らずに勝手に設定したゴールに 体(馬)を誘導しようとする 頭(騎手)に気づいていることが大切だと感じています。

 

その 頭(騎手)の暴走を起こしているのが、あなたの「想念」です。

 

「想念」に気づき、「想念」への執着から自由になり、本当のゴール、本来のレースの目的さえ思い出せば、 頭(騎手)は本来の有能さを取り戻し、適切な指示を 体(馬)に伝えられるようになり、人馬一体となって力強くゴールへと向かえるようになります!

 

頭(騎手)が 慌てて、焦って、心配して、あれやこれやと頑張りだして…

オーバーアクションでジタバタしたり、八方ふさがりになったと感じて何も出来なくなった時ほど…

 

「いかに体(馬)に負担をかけずに、体(馬)の邪魔をせずに気持ちよく走らせてあげれるか?」を思い出してみて下さい。

 

そのために 頭(騎手)は、何をする必要があり、何をしないでいる必要があるのか?

 

私も忘れないようにしたいと思います。

 

 

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