ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

やっとホントに許せるかな…?

一昨日、車を運転してたらふと自分の中でつぶやく声が聞こえてきました。

 

「・・・納得できんかったから、動けんようになったんよな~・・・」

 

いきなり浮かんできたセリフなんですが、「あぁ~… そうか…」って、すぐに繋がりました。

 

先日の出来事があってから色々と思い出す事、感じる事、繋がる事が起きています。

 

 

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私はセラピストという今の仕事の前に、長い事 競走馬を育成する牧場で働いており、競馬界での晩年?には小さい組織ながらも、この業界で働き始めた頃からの夢でもあった牧場長として腕をふるう機会を与えてもらっていました。

 

場長として勤めたこの牧場、実は立ち上げから密接に関わっていまして、

数年前に閉鎖して使われていなかった お化け屋敷状態 のようなボロヤ?を改装して、オーナーとあれやこれやとアイデアを出し合い、柵を打ち、ペンキを塗り、蜘蛛の巣を振り払い、悪戦苦闘しながらスタートした牧場だったんです。

 

でも今思い出すと、あの頃が一番楽しかったと思えます!

 

「体癖」をご存知の方なら分かると思うんですが、9種体癖である私からすれば我が子のように… いや自分自身と同等以上に愛着がこもった牧場であり職場でありました。

 

だから… 傍からどう見えたかは存じませんが、私は並々ならぬ情熱をもって場長として数少ないスタッフと共に意気込んでいた訳です。

 

基本的に馬主さんや調教師さんに大切な馬を預けてもらう事で事業が成り立つのですが、記念すべき預託馬1号くんが牧場にやってきた時の感動は今でもよく覚えています。

 

オーナーや私、そして少ないスタッフの希望に満ちた思いが届いたかのように、

開業半年後には牧場の馬房(馬小屋)が預託馬でいっぱいになるまでになりました。

 

ところが… こちらの予想や計画を上回る状況に大喜び出来たのはつかの間でした。スタッフが足りずに忙しすぎて自分が理想とするような仕事が全く出来ない… というストレスに捕まり始めたんです… 私が…。

 

競馬界も人材難ですぐにどうこう出来る問題ではなく、何とか出来る範囲でやりくりしていましたが私のストレスは募る一方です。

 

これまた「体癖」をご存知な方なら分かる話なんですが…

9種体癖って自分が愛情や情熱を注ぐことに対しては半端ない傾向があり、完璧主義者な訳です。恐らく当時の私は9種体癖エンジン全開で突き進んでいたんだと思います。

 

「私は、こんな(レベルの)仕事がしたくてこの牧場を始めた訳じゃないんです!」

 

みたいな感じでオーナーに食って掛かる始末で…(ちなみにオーナーとは年も近く以前から知ってた事もあり、こういう感じでモノを言い合える関係ではありました)

 

見方を変えれば大変に喜ばしい状況でもありましたが、9種体癖エンジン全開状態の当時の私にはとてもそうは思えずに

 

「こんな仕事しか出来ないんだったら… 馬なんか入ってこない方がましだ!」

 

って本気で思ってました。本気で… 毎日… そう思ってイライラしながら働いていたんです。すると… 願いが届いてしまったんですね…(なんせ本気でしたから…(;^_^A)

 

開業1年が過ぎ、新卒のスタッフやパートさん達でようやく理想とする仕事を進めていけそうな体制が整い始めるのと反比例して、どんどん預託馬が少なくなっていきました…。

 

季節的な変動が確かにある業界でもあるので、一時的なものかな?… と様子を見ていましたが、一向に状況が変わる気配がなく、じわじわと右肩下がりになっていき…

さすがに焦りだして色々と思いつく手は頑張ってみるのですが、なかなか流れを変えられないんです。

 

そうなると私の思考がギャーギャーと騒ぎだし、原因や犯人を捜し始めるんです。当時は既に不思議なご縁もあり精神世界や心の問題に関心を持ち始めていたので、自分の思いが引き寄せた結果なのか?…という視点はあるにはありました。

 

でもやはり外に求めてしまうんです。

私が原因と犯人にしたのはオーナーでした。

 

オーナーは個人的にはユーモアがあり独特のユルさが好きでもありましたが、開業当初から牧場の方針というか、事業を展開していく上でのコンセプトの部分には個人的に価値観の違いを感じていました。

 

でもそれで1年目は結果が出ていた訳で、私もあまり深刻に考えずにいられたんですが、物事が上手く進まなくなってきたとたんに眠っていた獅子が私の中で暴れ出すんです。

 

最初はそれでも我慢して自分の胸の内に収めようと努力していましたが、状況が改善しない状況が続けば続くほど黙っていられなくなり、色々と意見をぶつけるようになりました。牧場を辞める決心をする前頃に至っては

「あなたのせいでこうなったんじゃないですか!(# ゚Д゚)」

的なことまで面と向かって吐き出す始末で…

 

ちなみに冷静になれば当たり前な事なのですが…

この牧場… 当然ながら、彼(オーナー)の牧場なんです…

銀行に数千万もの融資を受けて、返済などのプレッシャーを誰よりも感じているのは彼(オーナー)なんです…

私を始めとしてスタッフの給料を払っているのは彼(オーナー)であり…

会社としての経営の本質を担い責任を担っているのは彼(オーナー)なんです…

 

こんな当たり前の事は一応分かっているつもりだったんでしょうが、9種体癖エンジン全開状態の当時の私にしてみれば、立ち上げから関わり、壁のペンキの色から細かい備品の購入に至るまで並々ならぬ愛着を注いだこの牧場は「私の牧場」そのものでした。完全に自分と同化していました。

 

幸いオーナーの本業での業績のおかげと、右肩下がりにはなったけれども何故だか最低限のライン以下には落ち切らない神風のおかげで倒産にまでは至りませんでしたが、

牧場の低い売上・業績 イコール 私の業績・評価と感じるのは当然で、毎月毎月ストレスと悩みは増えていく一方でした。

 

若いころは馬に乗って調教をして、馬の世話や牧場の作業をしていればそれで良かっただけですが、場長と言う立場になると当然営業的な仕事が増えるんです。

もともと営業向きの性格ではないのは自覚していましたが、業績も下降していく中、焦りとプレッシャーに負けないように平然を装い、馬を預けてもらうために営業に回る日々でしたが、

 

オーナーのコンセプトに違和感を感じながらも、それを伝える事で顧客を獲得しようとする営業は私にとってはかなりのストレスで、当然ながら気持ちも乗らず、相手に訴える力も持たず、成果もあげられず…

 

どんどん苦手意識に捕まり、営業恐怖症になっていきました。

 

私の事を良く知っている方ならご存知かと思いますが、私は好きなことをしゃべらせたら止まらないタイプの人間です。営業は得意じゃないしセンスもないかもしれませんが、本当に情熱を注ぎたいことへの探求心や努力は惜しまない人間です。今なら分かるんですが自分が本当に良いと思える事については、いくらでもしゃべれるし人に伝えたい情熱はあるんです(それが業績につながるかどうかは分かりませんが)

 

つまり私は9種体癖です! と言ってるようなもんです…(;^_^A

そして「こだわりはじめる」と全く融通が利かなくなり、納得しないと全く動けなくなるのも9種体癖なんです。

 

だから牧場の現状(=自分の評価や価値)をなんとか立て直したいという思いと、最初から違和感を感じていたオーナーのコンセプトへの不満やこだわりが摩擦を起こしぶつかり合い、自分が二つに裂かれたような状態で苦しんでいました。ブレーキを踏みながらアクセルを踏み続けていたようなものでした。

 

最終的に牧場を辞める決断をしたんですが、

これ以上牧場の業績が下がる事に耐えられませんでした。私そのものだと感じていた牧場がこのままダメになることは、自分自身がダメになる事そのものでした。8種体癖の私がこれ以上負け続けるのに耐えられなかったのかもしれません。

 

そして自分のこだわりに執着してしまい、オーナーと意見がぶつかり始めた私がこれ以上成果の上げられない場長として現場を仕切るのは良くないと判断しました。本当は私の力で立て直したかったですが残念ながら私では無理だと感じたんです。誰よりも愛着を持っている牧場ではありましたが、それを自分の力で助けられない事への絶望感で我を忘れてしまう状態でした。

 

こんな状態の私なのに、オーナーは引き留めてくれました。最後には不平不満をぶちまけてしまう状態なのに「場長が辛いんだったら、場長は降りてもいいから残ってくれ」とまで言ってくれましたが、それこそ当時の私には無理な相談でした。

 

本当はそんな状況で一番しんどいのはオーナー自身であることは今なら十分理解できるのですが、当時の私にはそんな余裕は残っていませんでした。

 

でも心の奥底では分かっていたんです。だけど愛着を持ちすぎた自分の分身とも言える牧場の役に立てない自分を許せない9種体癖と、これ以上負け続けられない(耐えられない)8種体癖に無意識に捕まってしまい、オーナーや状況の責任にして逃げる事しか出来ませんでした。

 

逃げたって、誰よりもそれを許せない自分がいるのは分かっていたはずなのに…

 

だからこそ…辞めた後も地獄でした。私が自分自身に対する誰よりも厳しい裁判官になってしまい、誰よりも自分を許さずに責め続けました。自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

でも当時の私にはこういう選択や行動しか出来ませんでした。別に体癖のせいにしたい訳ではありませんが…、体癖を知れば知るほど…、今現在の私のもとに訪れるクライアントさんに起こっている苦しみがいかに体癖と関係しているかを知れば知るほど…

 

当時の私は自分と言うものを全く分かっておらず、無自覚にロボットのように反応しては自らを苦しめていた事に気づきます。それぐらいこの先天的に持っているプログラム(体癖)の力は強力なんです。

そして人は、無自覚にやってしまっている事で苦しむんだと思います(自分のせいだと自分を責めて…)。

 

だから冒頭に書いた

「・・・納得できんかったから、動けんようになったんよな~・・・」

というつぶやき声が頭の中に聞こえた時に全てが繋がりました。

 

私が当時オーナーとの間に感じていた価値観の違いは、9種体癖のこだわりによって増幅され逆らえないぐらい巨大になってしまっていた事に気づきました。利害損得や生活の保障を犠牲にしても構わないと思えたぐらいこだわる時や事があるのが「私」という存在が持っている特性だと痛感しました。

 

誰よりも愛着を注いだものに誰よりも貢献したいのに…、誰よりも自分の価値観にこだわる事でそれさえも壊してしまう… そしてそんな自分が許せず納得が出来ず誰よりも厳しくジャッジしてしまう…

 

これでは営業だろうが何だろうが思うように動けなくなり、人生の先が見えなくなるのも当然です。

 

でも運転中に聞こえた声に、私は力が抜けていく感覚を覚えました。

それが良いとか悪いとかを抜きにして、当時の私は自覚が全くなくそれをやってしまっていた訳です。それは既に起きた事であり責めても仕方がないんだ!とようやく思えた気がしました。

 

自分がやっていた訳ではなかったんだ… と思えたんです。体癖に抗えず、それによって生まれた想念で自分を責め続けていたんだ… と気づけたんです(体癖を理解していないと分かりにくい表現かもしれませんが)

 

そして… もう自分を許してあげよう… と思えました。

 

最近では牧場時代の事を思い出す事もなく、長い事そんな責めてる自覚は持っていないつもりでしたが、水面下ではずっと続いていたのかもしれません。

 

もう許してあげよう… そう思うと力が抜けていきました。

 

私はこれまでもベストの選択をしたんだ…思ってはいましたが、ホントの意味でそう思えた気がします。

競馬界に別れを告げたおかげで今、一生をかけてでも探求していきたい事を仕事にできています。苦しかったですけど今、競馬界に居た時よりも出会って良かったと思える思想や素晴らしい人たちに出会えました。

 

亡くなった母には最後まで心配をかけっぱなしでしたし、実家で一人でいる父にもいつも助けてもらっていますが、おかげで自分は凄く愛されていて良くしてもらっている事が分かりました。

 

妻のご両親にも多大なご心配をかけていますが、いつも凄く気を使っていただいてる事に感謝の言葉もありません。

 

子供たちが大きくなって話が分かるようになったら、自分が学んだ事を伝えたいとも思っています(興味があればですけどね…)

 

そして牧場を辞めた事で一番負担をかけたのは他ならぬ妻ですが…、本当に苦労はさせていますがそのかわりに以前よりもいっそう夫婦として分かりあえたと感じています。あのまま競馬界で働き続けていたら今の関係はなかったと確信できます。私がこの10年ぐらいでどれだけ人間が変わったかを一番分かっているのは妻ですし妻のおかげでもありますから。

 

そして… 牧場の方も私の後任のF君が頑張ってくれたようで、辞めてから2回ほど会って話を聞く限りでは今も無事に営業中です(多大な苦労や迷惑はかけてしまいましたが…)

 

もし当時、牧場が順風満帆でいられたら…どうなっていたんでしょう?

その自分は今の自分と比べて好きかどうか…?

その人生は今の人生と比べて好きかどうか…?

 

私の中での答えは言うまでもないくらいはっきりしています!

私は自分にとっても牧場にとっても家族にとっても… ベストな選択ができた人なんです!

起きてしまった現実に対して、こう思えるようになることがどれだけ素晴らしいかが良く分かりました!

 

うすうす感じてはいましたが、辞めるしかなかったのではなく、辞めたかった事にも気づきました。現に今競馬の「け」の字も私の生活にはありませんし全く気にもしていません(これもまた9種的特徴ではありますが…(;^_^A)

 

当時苦しんだのが体癖のせいかどうかは分かりませんが、今振り返ると… 

 

体癖のおかげで、こんなに沢山の経験と気づきを得られたのかな… とも思えます。

 

もうダメだ…という時こそ、ダメじゃない自分に気づけるチャンスなのかもしれませんし、自分が嫌になり責めた時期があるからこそ、自分を受け入れ自分自身と一緒にいる事の大切さが増幅するのかもしれません。

 

これからもまだまだ自分を責める時はあるかもしれませんが、それすらも許してみようと思い始めています。責める自分も責められる自分も…すべては私の中で起こっている有難い人生だと思って。

 

 

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