続・自分が何をしているか・・・気づいていますか?
前回の続きです。
gorono-omoikomi.hatenablog.com
一つのたとえ話として・・・
ちゃんと働いていない(ように見える)Aさんと、それが気になってイライラしまくっている Bさん の二人について、お話をしてきたのですが…
なぜBさんがAさんにイライラするかと言うと「ちゃんとしないといけない!」という考え…、つまりその「思考」を恐らくは長いあいだ疑いもなく信じてきた結果、自分の「思考」に乗っ取られて、突き動かされて、止めようにも止められず…
そんな「思考」を刺激するAさんにイライラせずにはいられない状態が続いているからなんです。
私はこれを「思考に憑依された状態」とも言っています。そしてこれは程度の差こそあれ私たちに日常的に起きている現象です!
「でも・・・やっぱり・・・ちゃんと働いた方がいいですよね?」
「ちゃんと働くべき・・・という考えはどこも間違っていないと思うんですが・・・?」
そういう意見も多々あるかと思います。
私は別にこういう考えが間違っている!、そんな考えを持つな!、という事を言いたい訳ではありません。
大事な事は、その考えを信じる事で自分が「幸せ」になっているならまだしも「不幸」な状態に陥っているのならば、ちょっと疑問を持って、視点を変えてみた方が良くないですか?という提案がしたいのです。
この場面で、このBさんに一体何が起こっているか? について前回も書きましたが、今日は別な視点から更にBさんに何が起こっていて、Bさんが本当は何をしているのか?について書いてみます。
Bさんは…「Aさん! あなたはもっとちゃんと働くべきよ!」って、多くの場合は頭の中でキーキー怒鳴ってストレスを感じているわけですが、
そもそもコントロールすることが不可能な他人をどうにかしようという無駄なエネルギーの消耗をやってる事実に加えて(コントロールできるはず…と錯覚することは可能ですが…)
Bさんは頭の中で常にAさんに怒ってイライラしています。
これはつまり頭の中で常にAさんと一緒にいる… という事です。場合によっては顔も見たくないくらい嫌っているはずのAさんを、いつも自分の頭の中に招き入れては批判し罵倒し指図しようとしています。
嫌いで顔も見たくないのなら思い出さなきゃいいのに、時に親友や恋人よりも多い出演依頼をしては自分の頭の中に登場させて、自分の中の「怒り」という炎が消えないように油を注ぎ続けている訳です。場合によっては今自分がやるべき仕事すら手につかなくなるくらいに…
そしてこの時、Bさんの体に何が起こっているか? というと、
怒りで頭に「氣」も「血」も上っています。そして止められない「思考」にエネルギーが浪費されながら、怒りからくる緊張によって筋肉は硬直し始めます。さらにはその状態になんとか対応すべく様々なホルモンが出始め、体のなかでは緊急警報が鳴り響いている状態になっていると言えます。
仮にBさんという一人の人間を「株式会社」という組織に例えるならば、「株式会社Bさん」の本社ビルや本社工場に相当するのが「Bさんの体(肉体)」です。
そしてそこ(体)では沢山の社員たち(心臓さんや肝臓さん、上腕二頭筋君や肋骨君、免疫部長や神経伝達部長などなど…)がたくさん働いているんですが、
社員を統率し、会社を発展させ引張って行かなきゃいけない立場の社長であるBさん自身は、いつも他社の社長(Aさん)のところに遊び?に行ってるわけです。
そして自分の会社の事よりも、他人の会社(Aさん)が「どうあるべきか」に頭を悩ませ、そのイライラを他人の会社の社員じゃなく、自分の会社の社員に押し付けているんです。
つまりこのイライラしている時「株式会社Bさん」の本社ビル内部では、いつも社員のモチベーションを下げるBGM(社内放送)が流れています。
「なんでAさんはいつもああなの!(# ゚Д゚)」
「・・・あ~っもう!イライラする!!(# ゚Д゚)」
「だいたいあなたはいつだって・・・!!!(# ゚Д゚)」
こういうBGM(心のボヤキ)を毎日聞かされながら働かないといけない社員って・・・
それでも社員たちは頑張り続けます。「株式会社Bさん」を機能させ維持するために、ベストを尽くして商品(生命エネルギー)を製造しています。
ただしこの会社では予算の配分にひどい格差が発生しています。大脳部署や、心のボヤキ社内放送部署、筋肉ガチガチ鎧化計画部署などには膨大な予算がつぎ込まれる中で、その他の部署は少ない予算で必死にやりくりしないといけない状況が生まれています。
こういうエネルギー供給の明らかな偏りの中で、社員たちがベストを尽くして生産した虎の子のエネルギーを、今日も社長は他人の会社に遊びに行くために浪費します…
長年連れ添ってきた「ちゃんとしないといけない!」という名前の秘書を引き連れて
「今日こそは、私のものじゃないAさんの会社を、私が望むような会社にして見せる!」と息巻いて、妄想しながら…
本当はその秘書(思考)に操られ誘導されながら、自分のものじゃない会社に強制的に出社させられている事に気づいていないのです。いつの間にか自分(自分の会社)が影の黒幕に乗っ取られていることに気づいていないのです。
当然ですが社員もただ会社が消耗していくのを黙ってみている訳ではありません。
「痛み」という緊急メールや、「症状」という緊急電話をかけてきたり、時には「突発的アクシデントやイベント」という送迎車までよこしたりして、社長に自分の会社に帰ってくるように促します。
「社長!(Bさん) もういい加減にして帰ってきてください!」
「あなたはどこの社長だったか、覚えています?」
「そこ、あなたの会社じゃないですよ!」
「秘書(思考)ばっかり大事にしないで、こっちにも予算回してくださいよ!、社員である私たちの待遇こそ上げて下さいよ!」
「誰のおかげで毎日遊んでいられると思ってんすか!」
でも暴走中で妄想中の社長は、そんな社員たちのメッセージや警告に気づかないばかりか、外部の業者さん(薬や手術など)に業務委託してもみ消そうとすらします。
こうして報われない労働環境が続く中、
社員全員が長いあいだ共通して思っている切なる願いがあります。
「社長、お願いだからもうどこにも行かないで!」
「あなたはもっとちゃんと働くべきだ!」
こんな笑える(笑えない)話が、Bさんの中で起きているのです。
Bさんは「ちゃんとしないといけない!」」という「思考」に執着したがために、ちゃんと働いていない(ように見える)Aさんが許せず、イライラしていた訳ですが、
正にその「ちゃんとしないといけない!」という自らの「思考」への執着によって、「自分自身の事をちゃんと出来ない人」になっているんです。
さらに悲劇なのは、その事実に全く気づかずに さも自分が正しい事をやっているかのように錯覚しているという事なのです。
正に無知であり、「認知の誤り」が起きているんです。
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更に検証を重ねていくと意外な側面も見えてきます。
ちゃんと働いていない(ように見える)Aさんは、本当にちゃんと働いていなかったのか?
確かにAさんは仕事ではちゃんと働いていなかったかもしれない・・・
「私、仕事より家庭やプライベートが大事だし~」
「出世とか考えてないし、いつまで続ける仕事か分からないし~」
こういった理由が 正当か不当かはここでは述べませんが…(ここにも〇〇すべき論が潜んでる訳ですが…)
少なくともAさんは「自分自身の事」については、Bさんよりもちゃんと理解して、ちゃんと働いていると言えるのではないでしょうか?
適度に手を抜きつつも最低限の仕事はこなせている可能性すらあるAさんと、
イライラMAXになってしまうと本来もっと出来るはずの仕事すら手につかなくなってしまう可能性のあるBさん。(ベストを尽くしていないという意味では同類…?)
仕事はちゃんと出来ていないかもしれないけど、自分自身の欲求や優先順位をちゃんと理解して、心や体にストレスを与えることなく、自分自身についての仕事をちゃんと出来ているAさんと・・・、
頭の中の「ちゃんとしないといけない!」を刺激する誰かや何かに反応して、それをコントロールすることに忙しくて(コントロール出来ないのに…)、自分自身の心と体を強烈なストレスにさらして、エネルギー不足に陥らせながらもなお、自分自身についての仕事には全く目を向けていない(気づいていない)Bさんとでは・・・、
はたしてどちらが「ちゃんとすべき人」なのでしょうか?
自分自身の事をちゃんとする… つまり「自分自身をちゃんと生きる」こと以上に大切な仕事って他にあるのでしょうか?
ちゃんと働いていない(ように見える)Aさん、
私を苛立たせる許しがたいAさん、
という現象が、Bさんの人生で起きている背景には、何か大切な意味が隠されているのではないでしょうか?
Aさんのせいで… ちゃんとしない誰かのせいで… 私は苦しんでいる…
という「嘘」や「幻想」から目覚めさせるためにこの現象は起きているんじゃないでしょうか?
本当に変わるべきは…?
本当に気づくべきは…?
本当に何かをすべきなのは…?
ここから先はBさんの選択なんです。
もしBさんが「・・・でもやっぱり・・・仕事はちゃんとすべきかと・・・」、この期に及んでもなお そう言いたい、そう信じたいのならばこれ以上は誰も、何も、言う事も、出来る事もありません。
とどのつまり、あなたが「どう在りたいのか?」という事でしかないんです!
良いか悪いか? 正しいか間違っているか? などと、後付けでどんなに正当に思える理由をつけても構いませんが、
その理由付けや条件付けによってBさんが「Aさんこそちゃんとすべき!」の方を選択したのであれば、それによって生まれる結果(ストレスおよび体の不調など)はBさん自身が選択し望んだものであり、Bさんしか責任を負うべき人はいないと言う事になります。
だから誰かのせいで、自分が苦しむ… 苦しめられる… なんて事は実は起こりえないのです!
全く、「この世」と言うのは本当に上手い仕組みで出来てるもんです!
あなたが誰かや何かに対して「〇〇すべき!」「〇〇すべきじゃない!」なんて考えながら、ストレスを感じて苦しんでいる時は是非思い出してみて下さい。
例え気づいてもらえなくても… いつもあなたを支えていて、ずっと一緒にいてくれる存在達からの声が聞こえませんか?
「私(俺)こそ、〇〇すべきでは?」
「私(俺)こそ、〇〇すべきじゃないのでは?」
気づけていますか? 自分が何をしているのかに!
気づけていますか? その人は本当は感謝すべき対象かもしれない事に!
※直前になってきましたが京都府八幡市での「体癖勉強会」&「NES(ネス)体験会」
あと数名は受付可能のようです。詳細は以下の記事をご覧になってください!
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