ゴローの「思い込み 」

目には見えない「心と体のつながり」を視覚化して、気づいて、あなたが「思い込み」から自由になるお手伝いをしています。「思い込み」という名の呪縛について私なりの「思い込み」を書き綴ってみるブログです。

愛と愛情 ④

こんばんは!

 

薬に頼るのは良くないとは思うけど、そうとばかり言ってられないのも人間だよな~って思い込んでる ゴロー です。

 

 

 愛と愛情についての4回目です。我ながら長いお話になってきましたが…

ある意味これから書く記事の為にこれまでの前振りがあった…と言っても過言ではありません!(笑) 

時々クライアントさんや人前でも話した内容でもあるんですが、ブログで文字にする方が意図する事を伝えやすいかなとも思っています。

 

前回まで、私の考える「愛情」とは、実は相手の為のモノではなく、自分の為の「期待」や「執着」が含まれており、それを追いかけ始めると相手や自分に対して条件を付け始める可能性がある…とお話しました。

そして条件付けが始まると同時に、相手や自分自身に対してジャッジをするようになり、結果として自分が苦しむことになります。

 

つまり「愛」から離れることになります。

 

では私の言う「愛」とは何なのか? 「愛」から離れるとは? 

等にについて話してみます。

 

もし「条件の付いた愛され方」と、「条件の付かない愛され方」のどちらで愛されたいですか? と問われれば、普通に考えて皆さんがどう答えるかは分かりますよね?

 

まぁ中には、「ダメっ!! 私の容姿をこそ愛しなさい!」とか「俺の名声とこの収入を愛せないと言うのか!?」みたいな幸せ??? な方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも一般的には、「何かが出来たから…」とか、「何かを持っているから…」とか言った条件をクリアしないと手に入れられない「愛」よりも、

今のままの自分、あるがままの自分を受け入れて欲しくて、愛されたいのだと思います。

 

 でも運良く? そういう「愛」ある誰かに出会えればいいですが、今の世の中の実情はと言うと…

「私の期待と条件を満たしてちょうだい! だってあなたを愛したいからっ!」

「私の期待と条件を満たせないなんて…、こんな人だとは思わなかったわっ!、愛してたのに!!」

といったシュールなドラマが本気のガチで繰り広げられています。

 

みんな本質的には、無条件の愛が欲しいはずだし、無条件に愛したいはずです! 

あるがままの自分を愛して欲しいはずだし、あるがままの相手を愛したいはずです!

 

では何故それが出来ないのか? 難しいのか? と言うと、

ずっと期待と条件を満たす「愛」を求められ、ずっと期待と条件を満たすことで「愛」が得られると思い込んできたからです。それが当たり前という生き方、育てられ方をしてきたからです。

 

これが相当長い間世界中で、世界中の人々の間で、無自覚に行われてきたと思います。

それは人類の集合意識にまで刻まれた「呪い」のようにも思えます。

 

私自身を振り返ってみても、いつから始まったかは思い出せませんが…

 

いつしか親の期待や親の条件を満たせたら喜んでもらえる、愛してもらえると思い込み…、 満たせないと落ち込み自分を責め…、 満たすのを阻むライバルや障害に負けないように頑張り…、 それでも満たせない自分とは向き合うのを避けるようになったり…、 いつしか一番求めている相手に対して怒りや不満をも持つようになり…、 なのにそんな辛い経験を活かすどころか自分の子供には無自覚に自分の期待や条件を押し付けはじめ…、・・・・・

 

もう数え上げたらキリがありません!(苦笑)

 

セラピストという仕事をする中で、ほとんど全てのクライアントさんにも同じような状況が起こっており、そこにはほぼ親子の関係が付きまとっているのを見てきました。

 

でも…親も同じように育てられたから仕方がない部分もあるんですよね…

むしろ親の世代、もっと前の世代の方がもっと辛い部分も沢山あるかと思います。

 

人類の歴史レベルで「期待と条件付きの愛」がスタンダードであった時代は長く、夢や目標を実現することで幸せになれるというアメリカンドリーム的な神話も長らく人間を支配してきました。

現在は正に「それら」が限界を迎えようとしているからこそ、あちらこちらで様々なムーブメントが起こっている感じがします。

 

私も様々な自己啓発本、精神世界の本、哲学書、聖者や覚者と呼ばれる方たちの教えに触れてきましたが、分かったようで分かっていない、もどかしい日々が続いていました。

 

「愛こそ全て!」

「あなたはそのままで大丈夫!」

「あるがままの自分を受け入れて!」

 

って言われると「そうだよな~!」ってしばらくはその気にはなるんですが、

どうにも自分がそのままでいいとは心から思えず、具体的にあるがままの自分をどう受け入れればいいかが分からず、そもそも愛って何なんだよ!、なんで全てなんだよ!という問が次から次に浮かんできて…

 

そんじょそこらのウイスキーには負けないぐらい長期熟成、念入りに仕込まれた私の「思い込み」はなかなかに抗いがたく…、細胞レベルで染み付いちゃってるからこそ無理もないのですが…

 

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「無条件の愛による、あるがままの自分」がいいのは分かっている…恐らく間違いない!、でも…夢や目標を追わない生き方や、なんの期待や条件も付かない愛をやっぱり腑に落とせない…、どうにも表現できない…日々が続く中、

今年に入ってすぐだったかな? ふと色んな事が繋がりだしたんです。

 

今の私の中で「愛の定義」みたいになっているある法則がわかった途端に

 

「だから愛は全てだったんだ~!」

「だから期待や条件を付けたり、夢や目標を追いかけたらいけないんだ~!」

「だからあるがままの自分が良い訳なのね~!」

 

などなど「なるほど!!!」になった訳です。

正に「目からウロコ」とはこのことでした。

そして何度も検証を重ねてみてやっぱり間違いないようだと確信を得たんです。

 

ポイントは逆説的に考えて見るということです。今までの真逆から「愛」を捉えてみるということです。

 

これが分かると、「愛」って「愛する」とか「愛される」とか表現する類のモノじゃない気がするし、「愛じゃないのも愛だよね~」みたいな矛盾する世界も見えてくるし、この世の仕組み的なものが分かると同時に、自分がこれまで何てことをして生きてきたのか? これからどう生きればいいか? が分かると思うんです。

 

受け入れるかどうか(選択)は別のお話ですが…(笑)

 

それではではこれから… と思いましたが、このまま続けるととんでもなく長文になりそうですので、結局一番大事な部分は明日になります。(^_^;)