嫌なものは結局・・・
「嫌いな自分でも受け入れないと!」
ってフレーズを時々目にしますが、
私も何度もチャレンジしたことがあります。
でも私の場合、結局効果を上げた事はなかったように思えます。
理由は簡単で・・・
嫌いなものはどうしたって… どうやったって嫌いだから…
結局無理なんですね (^_^;)
よく考えたら「嫌い」とか言ってる時点で完全にジャッジ(分離)してます。
受け入れる気「ゼロ」だったりします。
世の中には嫌いなものを、嫌いなまま受け入れられる方もいるのかもしれませんが
残念ながら私には難しいようです。
いきなりですが… 実は私は、大の漬物嫌いです。
もう天敵レベルです。
漬物を嫌いなことに関しては日本でも有数の素養があるのでは…とかなりの自信があります(^_^;)
私は以前 9泊10日 の断食に行ったんですが、
最終日に復食としてお粥と… なんと漬物が出てきました。
…こんだけ腹が減ってるしなぁ…
もしかして、あのにっくき漬物すらも美味しく感じて40年以上に渡る漬物嫌いにもついにピリオドが打たれるのでは…???
と、お粥はひとまず置いといて
恐る恐る漬物を口に入れてみました・・・
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
やっぱりチョー無理で!(苦笑)
腹の中には吐くものなんていっこもないのに、思わず吐きそうになりました(^_^;)
だから私は…(何がどうだからなのか分かりませんが…)
「嫌いな自分を受け入れる」ことに時間とエネルギーを注ぐよりも
その原因たる「想念=思い込み」に取り組みます!
(漬物とは関係がなかったかもしれませんが・・)
なぜ自分が嫌いなのか?
を探っていくと必ずそこには何らかの思いや考えといった「想念=思い込み」が見つかるはずなんです。
そしてその「想念=思い込み」が見つかったら…
その「想念=思い込み」が今も自分にストレスを与え続けており、人生に大きな影響を与えているのなら…
それが真実かどうかを検証してみます。
これは決してその「想念=思い込み」を否定するとか、消し去ろうとかする意図で行うのではなく
ただあらゆる可能性に対して心を開いて、もし違う側面(世界)があるのなら見に行ってみようかな・・・
みたいな探究心・好奇心で、
自分の内面の深いところに降りていくという事です。
すると必ず(ホントに必ずです!)
自分が疑いようもなく、当たり前に信じていた「想念=思い込み」が作り出していた現実(世界)とは全く違う何かが発見できますよ!
ちなみに私は…
「なぜこんなに漬物が嫌いなのか?」という「想念=思い込み」については取り組むつもりは全くありません。
なぜなら漬物を食べなくても幸せだし、
漬物を食べれなくても何一つストレスを感じていないからです!
漬物しか食べるものがない世界や時代がこない限りは…
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あなたの感受性の基準は、実は体に原因がある!?
昨日は伊賀市で、
古き良き風情あふれる佇まいの「足圧屋みやも」さんに場所をお借りして
『体癖』についての勉強会を開催させていただきました。
雨模様の中お集まり頂いた方々には本当に感謝致します!
- 自分が普段、どういったところに感受性の重きをおいて生きているのか。
- どういったモノサシで世間を見ているのか。
- 何故いつも決まったパターンの行動を取ってしまうのか。
- 分かっていてもやめられない癖の原因とは何なのか。
人間のパーソナリティ(性格)に大きな影響を与えているのは、
実は体の構造であり癖なんです!
私も最初は半信半疑で始めた体癖論についての勉強でしたが、
今では仕事でもプライベートでも欠かせない生きた智慧となっております。
たとえ見ず知らずの人でも、その動きや仕草を見ているだけで体癖が分かり、思わず笑ってしまうこともしばしばです。
最近は新しい出会いがあると「この人は何種体癖だろう???」という所からまず始まります(笑)。
体癖は要点を抑えて理解して、使えば使うほどどんどん理解が進み人間観察とコミュニケーションが楽しくなっていくはずです。
ただ気をつけていただきたいのは体癖は相手を型にはめてジャッジするためのものではないという事です。
相手をフィルターにかけて見るのではなく、
自分とはそもそも全く違う個性と感受性を持った一人の大切な存在なんだ!
ということが腑に落ちてくると、無駄な衝突を避けられるだけでなく相手のことももっと可愛らしく愛おしく感じられるようになるかもしれません。
そして今まで嫌いだった、悩まされてきた自分の性格や癖についても客観的になり、意識的に生きれるようになります。
「俺ってば…、私ってば…、ま~たやってるわ!。ホントしょうがないよな~(^_^;)」
みたいな感じで、
気づいて笑えるようになればしめたもんです!
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決定権は誰が持つ?
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凄い人になりたい!
凄い事ができるようになりたい!
誰でも一度は考えた事がある願望かもしれません。(当然私も…)
凄くなるための プロセス自体を楽しんでいるのなら 問題はないのでしょうが、
「凄くなった自分」という結果に期待して、執着しだすとそこに苦しみが生まれてきます。
凄くなれない自分が、許せない存在に変わって来ているのに気づいたら 立ち止まってみる時なのかもしれません。
- 大体そんなときは既にプロセスを楽しめなくなっているはずです。
- ちゃんとモヤモヤ、ザワザワとする事(サイン)が日常で起きているはずです。
- 凄い人が実物以上に凄く感じられるようになってたり、なぜか周りが凄い人だらけに感じたりするようになっているはずです。
そもそもどうして凄くなろうと思ったのか? 例えば・・・
- 凄いという賞賛を浴びるための「凄さ」が欲しかったのか?
- その凄い何かで目的を達成するための「凄さ」が欲しかったのか?
いずれにしても最終的には自分の為にその「凄さ」を求めているんですが…
賞賛を浴びて自信をつけたいための「凄さ」に執着しているときは、
他者との比較が生まれやすく、努力して、または運良く?凄くなれたらなれたで
「やっぱり自分の作戦は間違っていなかった!」
「だとしたら追いつかれないようにこの凄さを維持しなければ…」
「もしかして、もっと凄くなればもっと評価されるかも…」
と終わらない旅路に突入していくことになります。
また、何らかの目的を達成したいがための「凄さ」を求めた場合でも同じ罠にはハマりやすいのですが…
現実問題としてその「凄さ」が目的達成のために本当に必要なのか?とか、
今持っているものや、他の何かでもその目的は達成できないのか?とかの、
別の視点を持てたりすると変な罠に陥らずに自分を取り戻しやすいかもしれません。
そもそも誰かが誰かを凄い!と思うのは、その誰かさんの領域の問題であり他人がコントロールはできません。決定権、権限はその人にあります。
いくら頑張って結果出しても凄いと思ってくれない人はいますし、
たいして努力した事ないのに、凄いね!って言ってくれる人もいます。
そして自分の事を凄いと思うのは、他人ではなく自分の領域の問題であり、その決定権、権限は自分しか持っていません。
残念ながら、だれもあなたの「私って凄いわ!と信じてしまうボタン」を押してあげる事は出来ないのです。
あれば私が押してもらいたいし、私も是非押してあげたいです…(^_^;)
いくら他人が凄いよ!と褒めてくれても、
「イヤイヤ私なんてまだまだですよ、やめてください…」なんて受け取らないのは本人の責任であり決定です。
だから自分が凄いのか? 凄くないのか? なんて問題はどこまでいっても自分の責任で自分しだいなんですが、
人はついウッカリすると、他人にその責任をとってもらおうとします。他人にはそれが出来ると信じているんです。
「私は自分に全然自信がないんだけれども、あなたには私を凄い!って思って欲しいの!」
「私が自信を持てるかどうかは、あなたにかかっているのよ!」
「だからさぁ早く! 私を認めて! 凄いと言って!」
「あなた自身の考えなんて置いてていいから、私のために私が望む言葉を言って!」
少し大げさに表現しましたが、こういった事が実際に多くの方の日常で起こっているんだと思います。
私はバイロン・ケイティという方の「ザ・ワーク」というメソッドに出会ってから、こういう人間の内面で起こっている思考の混乱を腑に落とすことができました。
凄くなれたら認めてもらえるとか、凄くなれたらきっと自信が持てるだろう、という「思い込み」を信じて生きている間は実は絶対に幸せになれないことを…
あなたは・・・
「凄くなれない私なんて、私は絶対に認めてあげない!」
「だからさぁ、もっと頑張って! 凄くなるまで頑張って!」
なんて… 自分自身にムチを打ち続けたいのでしょうか?
そもそも本来の目的ってなんだったのでしょう?
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『 体癖 』についての勉強会やります!
昭和の日本が生んだ天才整体師 野口晴哉氏 の体癖論をベースに、
体と心の密接な関係性、体と心の「癖」という名のプログラム、
人間という存在の不思議さ、面白さを語る勉強会を開催します!
めちゃくちゃ凄い理論なのに まだまだあまり知られていない?
「体癖論」を知るだけでも
長いこと悩んできた自分の性格や、どうしてもやめられない自分の悪癖、そして長年悩まされていた誰かさんの正体なども分かったりして…
だから私は…、だから私の人生はこうだったのか!?
という驚愕の発見がおこるかもしれませんよ!
100人いれば百人百色の人間という存在を深く知っていくうえで、今後必ず役立つことをお約束します。
信楽での開催予定でしたが 急遽 伊賀市の「足圧屋 みやも」さんをお借りしての開催となりました。
ご興味のある方、お近くの方など、よろしかったら楽しい学びに遊びに来てください。
【内容】
・参加者全員の体癖診断
・体癖と説明と理解、活用の仕方
・質疑応答
※ 体癖早見表などの資料付きです
【日時】:10月7日 午前10時~12時(2時間)
(その後質疑応答あり)
【料金】:¥3,000
【場所】:三重県伊賀市上野西日南町1767
「足圧屋 みやも」さんにて
【連絡】:090-8364-7329 または nes.tenjin@gmail.com
までお問い合わせ下さい。
(いずれも私、天神貴文宛の連絡先になります)
「足圧屋 みやも」
https://sites.google.com/site/sokuatsuyamiyamo/
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女心以上に・・・!?
この世界の全ては常に変化しています。
この世の中にもし「真理」と呼べるものがあるとしたら、
その一つは
「変わらないものなど、この世には存在しない」
ということだと思います。
- 宇宙も地球も広大な時の流れの中で、ゆっくりと変化しています。
- 海も山も長い年月をかけて、ゆっくりと形を変えています。
- 石ころだって同じように見えて寿命を迎えるまで変化していきます。
- 人間の体だって一部の組織を除けば、数ヶ月で細胞が入れ替わっています。
ましてや人間の心の本質なんてものは、「女心と秋の空」以上に、毎瞬毎瞬、コロコロと移ろい変わっていくのが本来の姿なのかもしれません。
つまり常に変化している、移ろい流れていくのがこの世の常であり、本質なのです。
なのに人の「心」はそれに逆らう動きをするようです。
自分に喜びをもたらす「何か」に対しては、その状態を維持させて、発展させようと躍起になり、
素直にただ喜んどけばいいものを…、その何かを失うことを恐れだし
時には、さらなる喜びを求めて彷徨い頑張りはじめ、
その障害になるものに対しては、怒りを覚え反発します。
自分に悲しみや恐れをもたらす「何か」については、そこから少しでも遠ざかろう、離れようと躍起になり、
だったら離れられている時ぐらい忘れていればいいものを…
一人の時でもずっと嫌いなその人やその事を、まるで好いてるかのように思い出し、
これ以上悲しくて恐れている事態にならないようにと、嫌いなその人やその事を常に頭に思いながら策をめぐらし、
その実現の障害になるものに対しては、やはり怒りで向き合おうとしたりします。
本来であれば、この世にあるものの中でも
最も流動的で、移ろいやすくて、だからこそ当てにもならない
「心」というものを、人はついつい
喜びや、怒りや、不安や、悲しみや、恐れ といったある状態に
好むと好まざると固定し続けようとします。
常に流れて、常に変化してさえいれば、
「心」と密接に連動して働く、「肉体」の様々な組織や器官にも影響は及ばないし、迷惑もかけないのに…
ある状態の「私」、ある条件を満たした「私」、は素晴らしくて、
そうではない「私」、などはとても受け入れられないと言って、
結局「こうだったら愛せるはずの私」や、「このままなら愛してあげない私」の
いずれかに自分自身を縛り付けようとしています。
だからこそ、
「私を固定しないで!」
「私を決め付けないで!」
「私という流れを止めようとしないで!」
ということに気づかせようと、限界を超えた感情は湧いてきますし
体に起こる症状や、人生に起こるハプニングを通じて
あなたに「何か」を気づかせようとしているんだと思います。
その「何か」こそが、
あなたという、本来とどまることなく流れ続けるものを
流れられない「塊」にしている事に
気づいて欲しいなぁ~と・・・
男心に思う 秋の雨の空。
★ 「体の癖」をテーマとしたセミナーを開きます! ★
昭和の日本が生んだ天才整体師 野口晴哉氏 の体癖論をベースにして、
体と心の密接な関係性、体と心の癖という名のプログラム、
人間という存在の不思議さ、面白さを語るセミナーを開催します!
伊賀市の「足圧屋 みやも」さんをお借りしての開催です。
ご興味のある方、お近くの方など、よろしかったら学びと遊びに来てください。
日時:10月7日 午前10時~12時(その後質疑応答あり)
料金:¥3,000
連絡:090-8364-7329 または nes.tenjin@gmail.com までお問い合わせ下さい。
(いずれも私、天神貴文宛の連絡先になります)
※ 名張市でも開催予定です!
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